私は人の期待に応えないことが怖い「イエスマン」でした

私事ですが、今、職場で少々問題を抱えています。

情報開示には限界があるので詳細は書けませんが。


まぁ、派遣社員として働く私が自分自身で考えている業務内容と、派遣先で要求される業務内容が違うことが原因です。

派遣元には、自分のスキルを伝えてありますし、派遣先での面接の際も伝えました。

でも、いざ現場に入って働いてみると、あれもこれもと次から次へと要求があり、クビになりたくない私は、それらを全て受け入れる形になっていました。


自分の中に「派遣先での要求を受け入れないとクビになる」「相手の期待に応えないといけない」とする気持ちがあり、とにかく、「物分りのいい、できる人材」として振る舞うことに精一杯だったのです。

ですが、そんな付け焼刃のような仮面は、あっという間にはがれることに。


自分のスキル以上の業務を請け負うことは、ストレス・負担なんてものではなかったのです。

先日、仕事中に、息苦しさと動悸、頭痛が一気に来て、座っていることが精一杯の状態になりました。

このまま椅子から落ちて倒れてしまうのではないか?と思ったくらいでした。

それが夕方だったため、そこは何とか持ちこたえて、次の日は休んで病院を受診。

ここ最近、息苦しさと動悸がひどかったため、循環器内科へ行ったのですが、そこで検査もした結果、心臓には特に問題ないとのこと。

「精神的なものでしょう」という診断を受け、スッキリしないまま帰路についたのですが。


これまで何回か、派遣先の社員や上司には話をしてきましたが、それらはすべて、「どうしたらクビにならずに済むか?」という気持ちからのものであり、今の自分自身の状態を打ち明けることはしませんでした。

「要求される仕事ができない」=「期待に応えることができない」となると、間違いなくクビになる。

そうなれば無収入ですから、クビになることだけは絶対に許せなかった。


しかし、体調はどんどん悪くなる一方で、週末に書いていたブログも先週は書けず、ついには自律神経失調症で体温調整が上手くいかなくなったのか、寒くて眠れないといった事態に陥ってしまいました。

そこでもう、腹をくくり、派遣元に連絡して現状を伝え、「要求されている仕事は自分のスキルを越えているので、できない」と、派遣先に伝えてもらえるようにお願いしたのでした。


それが先週の木曜日のこと。

正直、怖かったです。

今も、怖くて怖くて、昨日も今日も寝込んでしまいました。

何も手につかず、食料の買い出しにも行けず、家事もできません。



私は、「イエスマン」をやめたのです。

だから、その結果どうなるか?その影響が怖くて、引きこもっている。

「できない」と相手に伝えることがこんなに怖いことだとは知りませんでした。

「できない」と派遣元に言おう、と決めた前の晩は、布団に入ってからひどい悪寒と動悸に襲われましたし。

「恐怖」というものを感覚で知り、本当に辛かったです。

でも、「イエスマン」をやめないと、どこまでも健康を害してしまう。


それに、派遣社員には何の保障もありませんから、健康を害して働けなくなったらアウトです。

働く場所は、他にもあるでしょう。

でも、働く自分自身には、スペアがありません。



私がなぜ「イエスマン」としてしか生きて来られなかったか?

それは、子供のころの親との関係性に原因がありました。

私の父親は、自分の言う事をきかない私に殴る蹴るの暴力を振るいましたし、母親は、「厄病神」と罵っては無視する、疎外する、という人でしたから。

親の「イエスマン」でいなければ、ひどい目に遭う。

私の「イエスマン」のルーツなんて、たったそれだけのことでした。

「NO」を言えば、報復される。

反旗を翻したと受け取られ、攻撃される。

だから、親の言う事をきく、「物分りのいい子」であれば、攻撃されない。

そもそも嫌われていて大事に扱かってもらったことなどありませんが、暴力を含めた攻撃は勘弁してほしい。

たったそれだけのことが、50歳を過ぎてもなお、影響し続けている、というわけです。


「イエスマン」をやめることは、怖いことですね。

相手に攻撃されるリスクもありますから。

でも、私にはもう、ガマンができませんでした。

明日、仕事に行けば、結果が出るでしょう。

「イエスマン」をやめたことで攻撃されるなら、喜んでクビになろう、と今は思っています。

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うーん。儲かりません。私は何のために働いているの?

私事ですが。

昨日の午後は、確定申告の準備をしていました。

家族の分、自分の分。

数字、苦手なので、けっこう大変です(笑)


で、金銭出納帳を付け終わり、そこにある収入と支出のバランスを見て……

うーーーん。まったく儲かってないじゃん。

と、改めて実感。


思うのです。

確かに私のライフワークであるメンタルケアの仕事は、60分5.000円、とライスワークでしている派遣の仕事より、時間給にしてみて高額です。

でも、毎日メンタルケアの依頼があるわけではない。

それに去年は、自宅の一部をカウンセリングルームにするための費用など、活動した分の経費はそれなりにかかっているのです。


以前、もう何年前のことかも忘れてしまったくらい前のことですが、カウンセリングルームとして市外で部屋を借りていた時、その家賃が払えずにコンビニでバイトしたことがありました。

その時、そこのスタッフの女性の1人から、「カウンセリングっていくらですか?」と質問され、私は「60分5.000円です」と答えたのですが。

その女性の、「ふーん。5.000円ももらってるカウンセラー先生が、どうしてこんなところでバイトしてるの?」と、ちょっと嫌な言い方されたことを覚えています。



私は一応、「ライフワーク」という表現はしているものの、メンタルケアの仕事は道楽でできるほど甘くないと思っています。

お勤めの人とは違う形での努力、違う形でのお金が必要ってだけのこと。

しかし去年かけた経費の内容を見て、反省すべき点は多々ありました。

それは、「使わなくてもいいところへ使ってしまったな」ということでした。

結果的にお客さまのためになる部分に経費を使ったのではなく、関係者へのご機嫌取りで使ったお金が多かったと思います。


これは、とある店のオーナー女性が言っていたことですが、「お店に来てくれるお客さまが幸せなのが、私の幸せ」って。

そう言って彼女は、自分の店を利用するお客さまたちに、商品以外で様々なサービスをしていました。

ですが、私はこの時、思ったのです。

それって逆で、「お客さまが幸せなら、私は幸せ」ではなく、「私が幸せだから、お客さまも幸せ」じゃないの?と。


確かに、お客さまの幸せ(顧客満足)は、私のような仕事をしている者にとっては大事なこと。

でも、自分の身を削ってまで奉仕することには、少々反論あり、です。


これと似たようなことが、お母さんと子供の間にも起こりやすい。

お母さんは、「子供のため」と言っては子供を優先し、自分の満足は後回しにする。

これが悪いと言っているのではありません。

母親の愛はそういうものだと言われたら、子供のいない私には何も言えませんし。

でもね、自分から溢れ出す愛情が、他者を満たすのだと思うのです。

これは、マツダミヒロ氏の「シャンパンタワーの法則」です。

シャンパンタワーの最上段にあるシャンパングラスを満たせば、溢れ出たシャンパンによって、その下段にあるすべてのシャンパングラスは満たされていく。

その最上段にあるシャンパングラスこそ、「自分」なのです。



私たちはみんな、何(誰)のために仕事をしているのでしょうか?

子供や家族のため、でもいいと思います。

でも、自分を最優先できない人は、誰も守れないのではないか?とも思うのです。

本当に大切にしたい人のため、大切にしたいもののために働くのだとしたら、まずは自分自身を最優先できることが必要。

目先の利益だけに囚われず、自分が働く本当の目的を考えてみることも、時には必要なのかもしれませんね。

そして、その目的を確認したら、それに対して不必要なものは切り捨てる勇気を持つこと。

これ、去年分の金銭出納帳を見た、私の痛い気づきでもあります。




ちなみに、過去の私は、「カウンセリングルームが無ければお客さまには来てもらえない」とする思い込みに囚われていたのです。

そこで無理をして部屋を借り、カウンセリングルームを作ったのですが、結果は、家賃支払いのためのバイト三昧の日々。

バイトで疲れてカウンセリングができない状態に陥り、これぞ本末転倒、という痛い経験でした。

「人が信じられない。人が怖い」愛着不安を抱えていた私は

あなたには、何でも話せる人がいますか?

心の支えとなる人がいますか?


先日、こんな本を買いました。

『愛着障害 子ども時代をひきずる人々』

精神科医の岡田尊司先生の著書です。

実はこれ、「自分の中の劣等感」からネットサーフィンしていて辿り着いたもの。

この本を読み、まるで私自身を主人公に書かれているような、「え?まさに私のことじゃん」といった感覚を得ました。


子供のころの私は、常に親から否定され、批判され、疎外されていた記憶しかありません。

親にとって私は、「理解できない。扱いにくい。好きではない」子供だったようです。

そのため、「自分らしさのままで生きると親に愛されない」と学んでしまった私。

年を重ねて成長はしたものの、親との間で学んでしまった「対人スキル」は、社会に出てもそのまま使うことになりました。

その結果、「人が信じられない」だけでなく、「人が怖い」と思うようになり、人といると常に緊張して消耗してしまうといった人生を送ってきたわけです。


ですが。

この本を読み、そんな風に生きてきた私にも、今は、ちゃんと私を受け止めてくれる存在がいたことを、改めて確認させてもらえました。

親との間で、うまく愛情のやり取りができなかった私に、親代わりとなって愛情と信頼を与えてくれる人がいる。

そういった存在を、この本では「安全基地」と表現しています。


50歳を過ぎ、こんなことをブログに書くのはどうだろうか?とか、ここまで自己開示してしまうことに恥ずかしさを感じないわけではありませんが。

長い間、「人が怖い」「人が信じられない」とする人生を生きてきた私にとって、「どんな私でも嫌われない」という相手は、無くてはならない心の支えです。

それが、我が親友。

彼女にだったら、どんなに暗くて深い心の闇もさらけ出せる。

そこにある信頼は、友情という言葉では語りきれない強さと確かさなのだと思っています。


ただ、ひとつ言いたいことは。

そんな関係性の構築には、「親」と「子供」の「子供」のように、ただ「親」から愛を与えてもらうばかりではなかった、ということです。

オトナになってから求める「安全基地」作りには、自分自身も相手を信用し、自己開示して頼っていく必要があると思うのです。

「人が怖い」「人が信じられない」といった心に闇を持つ私が、勇気を出して関わった結果、手に入れられた素晴らしいもの。

それが現在の、親友との関係性です。

ですから、「愛着不安」という障害を抱えて生きる上で、まずは自分自身が親との関係性の中で愛情をやり取りできなかったことを認めて受け入れ、「安全基地」となる存在を探していく。

それは、いくつになってもできる、遅くはない、と思うわけです。


そういう私も、相変わらず人は怖いですし、誰でもかれでも信用するわけではありません。

でも、社会に出て消耗する自分をエネルギーチャージできる場所=安全基地、があるという事実は、「人が怖い」「人が信じられない」など些細なこと、とさえ思えるもので。

劣等感の強い私の言動、私という存在を、親友は決して否定せず、常に肯定してくれます。

そんな、「どんな私でいても大丈夫」と思える存在が私にはいたんだ、と思えた先日……

仕事で失敗して凹んでいた私は、どこかに消えてしまいました(笑)



残念ながら、私のように愛着不安を抱えたままオトナになってしまった人は、今更親子関係をやり直せませんよね?

ですので、今からでも遅くない。

「なんでも話せる相手」を見つけることをオススメします。

もちろん、もともとが「人が怖い」「人が信じられない」といったベースでしょうから、簡単ではないはず。

それでも、チャレンジする価値はある、と私は思います。

「悪いのはどちら?」自分のネガティブな感情エネルギーの方向性を変えてみる

あなたは、自分のネガティブな感情エネルギーを「自分」に向けることが多いですか?

それとも、「他者」に向けることが多いですか?



先日のことです。

仕事でちょっとした失敗があり、私はいつもの「落ち込みモード」へ入りかけてしまいました。

入ったばかりの職場で、慣れない仕事、慣れない人間関係。

なので、今までの自分のスキルが通用しないことは仕方ないでしょう。

でも、「だから私はダメなんだ」と、失敗した自分を責めるのが私の癖。

もうそうなると、あとはどんどんネガティブな方に考え始めてしまう。

「仕事を失敗した」→「仕事ができないと思われる」→「クビになる」

という「悪い方向」へ進む考え方に歯止めがかからず、「クビになったらどうしよう?」と、頭を抱えていたのでした。


冷静になって考えてみれば、元々は、取るに足らない些細な失敗です。

いや、失敗とも言えない、普通に「間違えた」程度のものでしょう。

なのに私は、「社員から指摘された」→「注意された」→「失敗」とする意識が働き、すっかり「落ち込みモード」に入りかけたのです。



私はこうして、「ちょっとした出来事」から「落ち込みモード」に入り、「自分を責める」ことが多い。

そして、その結果も自分に悪い方へ考えるため、気持ちが動揺し、体調も悪くなる傾向。


けれども今回、「ちょっと待て」と、「落ち込みモード」に入りかけた自分にストップをかけました。

……ちょっと待って。

これって、ホントに私が悪いのかな?

「できない」とか「覚えられない」とかって自分を責める前に、あの人(某社員)の教え方はどうなのよ?

と、自問し始めたのです。



メンタルカウンセリングをしていて、クライアントさんがうまく自分を表現できないことは多々あります。

それ、当たり前ですよ。

自分の悩み、心の中という、デリケートな部分で形のないものに関して、うまく喋れる人なんてわずかなんです。

それを初めて会う他人に打ち明けるのですもん、緊張だってするし、言葉だって選ぶでしょう。

なので私たちメンタルケアをする側は「質問屋」になり、クライアントさんが自分のことを喋れるようにリードする。

そういう、人に対する思いやりや、仕事に対するスキルって、必要だと思いました。



長く派遣社員で働いてきた私は、「受け入れる側にも問題がある」と考えています。

ですから、ちょっとした失敗を自分のせいにして落ち込んで自分を責めることを、今回はやめてみたのです。

自分の中にある、「私はダメ人間だ」という意識や、ネガティブな感情。

それらが、「自分自身」に向けて攻撃を開始する。

その結果、ひどく落ち込み、考え始め、夜は眠れない⇒自律神経失調症。

この方向を変えていかないと、私はいつまで経っても自律神経失調症のままだ、と思ったわけです。


そこでこの時は、自分に向ける攻撃を、他人に向けてみました。

「入ったばかりの派遣社員なのだから、何年もいる社員みたいに仕事ができるわけないでしょ?なのに、なんなの?その言い方は。だいたいね、教え方が悪いんだわ。もっとちゃんと教えてくれないから覚えられないのよ」って。

いつもいつも「悪いのは私」でしたが、この時は「悪いのはあの人」にしてみたのです。

すると、そこには「怒り」があることに気づきました。

……そっかぁ。

「自分を責める」って、「ちゃんとできない自分」に、自分が怒って攻撃するってことだよね。

そういうことかぁ。

私は今まで、自分に対して怒っていたんだ。


愚かでした。

自分で自分に腹を立てて怒ったところで、何か解決するでしょうか?

もちろん、他人に腹を立てて怒っても同じことでしょうけど、そこでちょっと違うのは、気持ちが他人に向くと、その気持ちに気づきやすいということ。

自分の内側に向く意識や気持ちは気づきにくいですが、自分の外側に向くものは、気づきやすいです。

そして、「あぁ、私は怒っているんだ」と気づくと、なぜか不思議と気持ちは収まってきます。


私も「私のせいじゃない」と人に責任転嫁したせいで、今までとは全く違う意識の方向性ができました。

「相手が悪い」→「(相手は)おバカさんだから仕方ない」って思えたら、怒りは消えました(笑)


私は何かにつけて、「自分が悪い」と自分自身を裁いて責める傾向です。

人のせいにすることは悪いことだ、と思っています。

でも、相手がある時って、「自分だけが悪い」というケースって、少ないような気がするのですよ。

ケンカって、売る側がいて買う側がいるから、ケンカになるわけでしょ?



常に相手を裁いて相手を責める傾向がある人は、ちょっとだけ自分を責めてみるのもいいと思います。

そうして、いつもの自分の思考パターンの逆をしてみると、意外な気づきがあるってこと。


大事なのは、「問題」の「解決」です。

解決のない問題をいつまでもグルグルクヨクヨと考えているよりも、ちゃっちゃと解決して先に進める問題へと変えてしまえばいい。

気持ちを切り替えるって、そういうことかもしれませんね。

負けるな、私。負けるな、派遣社員。マウンティングや悪意に負けない精神力を。

私事ですが、今月からライスワークの派遣の仕事に行き始め、やっと半月経ちました。

ちょっとグッタリです(笑)

今日明日は近所のスーパーに行くくらいしか元気がないかな~って感じ。

環境も仕事も人間関係も、何もかも新しいので、けっこうしんどい。

で、何が一番しんどいか?って、そりゃやっぱり人間関係でしょ。

30代半ばから派遣社員という働き方しかしてこなかった私ですが、どこの職場に行っても感じることは、「マウンティングされる」ということ。

もちろん、本人たちはそんなつもりなど全く無いのだと思いますが。


入ったばかりの私を遠巻きに見ていた職場の人たちも、お互いの存在に慣れてきたこともあり、今週は少し踏み込んで関わるようになりました。

そうなると、その人の人間性がよく見えてきます。

正直言って、「仕事はできるかもしれないけど、人間的には最低レベルだな」と思うような人もいて。

そういう相手に接しては消耗してしまう自分を何とか立て直し、頑張って出勤していました。


思うのですが。

マウンティングしたい気持ちも分かります。

だって、派遣社員相手くらいにしか、威張れないでしょ?(笑)


劣等感がある人ほど、自分より弱いと思われる立場の人にマウンティングして優越感を感じたがる。

でもね、昨日もちょっと思ったのですが、そうやって上から威張って言ってくることが、その企業だけにしか通用しないローカルルールだってこともあるんです。

その職場で長く働いている人ほど、世間を知らないのかもしれない。

自分の言ってることが世間の常識かのように思い込み、外の世界から来た派遣社員などに偉そうに発言する。


私は、どこへ行っても「この程度のこと、知らないの?」というような扱いを多々受けますが、実際、じゃあ、そう言ってくるその人って他所で通用するのかな?と思ってしまいます。

狭い社内の中だけのルールだとも知らず、入ったばかりの派遣社員に偉そうに説明したり説教したりって、恥ずかしいですよ?



それに去年の派遣先では、こんなことがありました。

上司が、パソコンソフトの調子が悪くなったと言い出し、「緋呂子さんが入ってきてからこういう状態になるようになった」と私を責めたのです。

そう言われても私には全く身に覚えのないことでしたが、私のせいではないとも言えなかったので、黙っているしかありませんでした。

すると、その後数回同じようなトラブルがあり、その度に上司は私を責める発言をしたのですが。

でも、私だって悔しかったんですよ。

一方的に犯人呼ばわりされて。

なので、トラブルが起こった日時を調べていたんです。

そしたら、やっぱり。

その上司が使った後に限ってパソコンがトラブっていたことが分かったのです。

私はそこで自分の無実が分かったため、その件について発言するようなことはしませんでしたが。


昨日は、この件を思い出させるようなことがあったのです。

社員のある人に、自分が指示したこと、作業したことなどはすっかり忘れたのか、まるで私が無知で間違えたかのような言われ方をされました。

でも、どこへ行っても派遣先社員は、外から来た派遣社員にミスを押し付けて責任転嫁する傾向なので、私は反論もしなかった。


当然ながら、そういう人ばかりではないですけど。

今回の派遣先でも、何度同じことを聞いても嫌な顔せずに、親切丁寧に笑顔で教えてくれる社員はたくさんいます。


ですから私は、一部の残念な社員たちに振り回されずに、精神的に強くなろうと決めたのです。

自らに劣等感があり、他人にマウンティングすることで優越感を感じたい人、また、自分のミスを責任転嫁しようとする人など。

いずれにしろ、自分自身と向き合うことのできない、心が狭くてキャパが無い、気の毒な人たちであることは間違いないでしょう。


ただ、社員側にも言い分があり、派遣社員という働き方に偏見を持っている人もいます。

私自身も、「立場的に職場でモノが言えない分、辞めるしか権利がない」と思っていましたから、「派遣社員は辞める=無責任」だと思われるのも仕方ないかと。


でも、辞めずに解決できるよう、自分自身を変えるしかないと思いました。

立場は弱くても、自分自身が弱いわけではない。

なので、自分自身の「弱気な気持ち」を捨て、理不尽なマウンティングや悪意に負けないことです。

時に図々しく、強かに、精神的に強くならないと。

気持ちで負けていたら、何事も上手くいかない気がしますから。

心に縛りがあると「自分が喜ぶこと」にお金を使うことができません

あなたは、「自分が喜ぶこと」にお金が使えますか?

「自分が喜ぶこと」にお金を使うことに、罪悪感がありませんか?


日頃から自分に制限をすることが多い人は、「自分が喜ぶこと」に上手くお金が使えません。

例えば、素敵なレストランで食事したいと思っていても、「ダメダメ。外食なんてお金がもったいない」などと考えていると、「自分が喜ぶこと」から遠ざかってしまいます。


時に、「自分が喜ぶこと」は、ちょっぴり「贅沢」なことかもしれませんね。

特別な時だけの「ご褒美」的なものかもしれませんし。

しかし、「自分が喜ぶこと」を知っていながら、あれこれと理由をつけては「与えない」となると、それは明らかに「欲求不満」の領域に入っていく気がします。


「自分が喜ぶこと」は「ガマン」という「縛り」で遠ざける。

まぁ、「理想」と「現実」はいつだってギャップがあるものでしょうけど。



これは私のことですが。

去年の5月に、ライスワークである派遣の仕事を辞めてから、すっかり貧乏になっていました。

食べていくだけで精一杯な状況でしたので、生活の中の「必要なもの」しか買えなかった。

しかも、派遣で働いて収入があったころに買っていたものからレベルを落とし、金額的に安いものを選んで買っていました。

もちろん、ストレスの程度に応じて「自分にご褒美」は与えていたつもりですが、そのレベルも必要最低限で。


私は本来、浪費家です。

物欲が強く、買い物が大好き。

ですが、親の年金で細々と生活する日々は、そういった自分の欲求を殺す日々でした。

ですが今回、また派遣の仕事を紹介してもらって働くことができているので、一昨日、思い切ってバッグを買ったのです。

たぶん、バッグを新調するなんて、何年ぶりのこと。

新しいもの好きな私なのに、お財布ももう何年前に買ったのか思い出せないくらい使っていますし。

生活必需品ではないものは、買えませんでした。

でも本当は、バッグも財布も靴も化粧品も買うのが大好きで、ブランドものも大好き。

(バブル時代が懐かしい~・笑)


えぇ、ですから、買いました(笑)

ネットじゃなくて、百貨店で(笑)

しかも、2つ(笑)

1つは以前から欲しかったもので、もう1つは一目惚れで衝動買いですね。

それでも、数年ぶりにバッグを買ったからか、一目惚れを買えたからか、驚くほど気分が上がるのを感じました。

嬉しくて嬉しくて、帰宅して商品の包装を解き、見てはニヤニヤしていましたよ。


私も思います。

そうは言っても、お金が無きゃ、物も買えないって。

だから、毎月の収入が安定する仕事に就かなければ、いつまで経ってもバッグなんて買えなかったって。

でもね、いいじゃない。

バッグくらい買ったって。

自分のためにお金使ったって、いいじゃない。

生活必需品じゃなくても、いいじゃない。

なんだかそんな、開き直りに似た思いが私を支配していました。

去年は特に親のことにお金がかかり、自分のことは何から何まで後回しだった気がします。

でも今年は、自分のためにお金と時間を使いたい。

そんな気持ちを形にしたことが、バッグの購入となったわけですが。



「お金がもったいない」からと、欲しいものも買わず、「自分が喜ぶこと」にお金を使わないことも選択肢の一つではあると思います。

もともと倹約家だったり、お金を使うことに興味がない人もいるでしょう。

しかし、生活の経済的な事情と言った「現実的な縛り」でなく、「心の縛り」のせいで「自分が喜ぶこと」にお金が使えないとしたら?

それは自分がかわいそうだな、と思います。

と言うより私はいつも、「私って(親の)犠牲になるばかりで、かわいそうな人間だな」と思っていました。

そして、その不満は「怒り」となり「憎しみ」となって、そのネガティブな感情は親に向いていたと思っています。



「自分が喜ぶこと」「自分のモチベーションがあがること」に、お金を使いませんか?

バッグを買った私は、「よし!このバッグを持って出勤して、仕事頑張ろう!」と思えましたから。

今年に入ってから働き始めたので、まだお給料を1度もいただいていないんですよ(笑)

なのに買い物してしまった大胆さも、私の個性の中の側面ですから、まぁ、いいでしょう(笑)


自分ためにお金を使う、「自分が喜ぶこと」にお金を使うことは、必要な自己投資だと思います。

気分上げて生活するために、自己投資を惜しまないことをオススメしたいです。

「できません」と言ってあげないと相手は気づけません

あなたは、自分のキャパを越えている仕事を頼まれた時や、自分のすべき仕事ではないと判断した時などに、仕事をふってきた相手に「できません」と言えますか?



「言いたいことが言えない」傾向の人は、相手に「自分のことを分かってもらえない」と苦しむことが多いですよね。

そして、日頃「言えないこと」は、自分の中にネガティブな感情として蓄積していきます。

私もよくありますが、人に頼まれると「ちょっと無理してしまう」こと。

これは仕事でのことが多くて、派遣社員の私は「え?これって私の仕事かな?」と一瞬考えても、「はい。分かりました」と答えてしまう。

相手は私より若くても社員だし、仕事をもらう立場の私にとっては、「え?それって私の仕事ですか?」なんてこと、今までは絶対に言えませんでした。

でもね、こちらが「NO」を言わないと、「YES」だと思われてしまうのです。

そして、一度「できてしまう」と、相手は次からも普通に頼んでくるでしょう。

ですので、言いたくなくてもなんでも、「できません」と「NO」を言わなきゃならないでしょうね。



これは、とある知人から聞いた話ですが。

彼女は派遣社員として、とある企業で一般事務をしています。

ですが、手が足りない部署へ度々ヘルプで行かされることがあり、その度に、その部署の仕事も覚えないていかないとならないそうです。

そのせいで、彼女がカバーしなければならない仕事の範囲はどんどん広がっていきました。

ところが彼女の職場には、彼女をまるで自分だけの専属アシスタントとでも思っているような扱いをする男性社員がいて、彼女が自分の思い通りにならないと八つ当たりまでするとか。

でも彼女は、今年から新たな別部署の仕事もしなくてはならないことで、その男性社員の仕事だけを優先するわけにはいかなくなってしまったらしいのです。


なので彼女にアドバイスするとしたら、「そういう人には、できませんってハッキリ言ってあげてください」でしょう。


おそらく、そういう男性社員のような人は、相手のことなど考えないタイプだと思いますよ。

ですので、こちら側の都合を言葉で伝えてあげる必要があるってこと。


実は私も、相手の要求に応えられない自分のことを「ダメ人間」だと裁いて責める傾向が強いです。

その彼女も最近までは、「仕事ができないってことでクビにされたらどうしよう?」と不安に思っていたらしい。

けどね、企業側から次々に要求されることを、彼女は必死で頑張って応えてきたわけで。

なので彼女、「そうやって頑張ってる自分のことを認めてあげようと思い始めた」と話してくれました。

それを聞き、私も嬉しかったです。



ですが、彼女が職場で常に頑張っている、=無理をしていることには賛成しかねます。

そこで、相手のことも考えずに仕事をふってくる人には、ハッキリ断るようにしてほしい。

そういう人は、口で言われないと分からないですもん。


で、そこで「仕事ができない」と思われてクビになったとしても、そこの職場が合わなかったというだけのこと。

そんな、無理をしないと務まらないような職場は、しょせん長続きはしないでしょ。


誰だって、能力の限界のところで無理している自分を分かってもらえなければ、不満が生まれます。

その不満はどんどん溜まっていくものだし、イライラして愚痴も言いたくなりますよね。

仕事に行くことが嫌になってしまうかもしれません。

そうなる前に、自分のキャパを越えている仕事や能力に合わない仕事は、断ることです。

それも権利ですから。

断っていいのです。

「できません」と断ることに、罪悪感は必要ありませんよ~