それは問題か?問題じゃないのか?

昨日のことです。

買い物先で、偶然、中学の時の同級生に会いました。

そこで普通に世間話をしたのですが、私、その会話の中で「モヤッと」したことがあったのですよ。

 

昨日の朝も具合が悪かったりで、家で節電のこと(笑)ばかり考えてても腐るな~って思って外出しました。

ただ、化粧をしていくモチベーションはなく、スッピンのまま。

そこで同級生に会い、お互いの近況報告をしたのです。

 

私、きちんと化粧している彼女に対して、スッピンの自分で少々バツが悪かったのかもしれません。

それに、ブラウス1枚という薄着。

だからなのか、言い訳めいたことを言ってしまったんでしょうね。

 

「私、更年期でけっこう具合悪くてね。太ってるのもあるんだけど、やたら暑くて、こうして薄着しててみっともないよね?スッピンで買い物来ちゃうし」

と、口から出ていました。

すると彼女、「私だってそうだよ!」って。

 

その返事で私、「仲間意識」が芽生えてしまったのか、

「そう? 私、こうやって暑かったり寒かったりが激しくて、体温調整できてないって言うか、自律神経失調気味でね。今朝も具合悪くて」

と、また口から出ていました。

 

そしたら彼女、言ったのです。

「『私は更年期じゃない!私には更年期はない!』って思いなよっ!」

 

 

 

彼女は同級生の中でも、体育会系で元気がいいタイプ。

人の悪口は言わないし、明るくて付き合いやすい女性なので、人間関係が不得意な(笑)私でも、普通に関わっていた同級生です。

その彼女が、強め口調で発言したので、私は少々引きました。

 

まぁ、「家にいて腐るから、気分転換に外出するか…」程度のモチベーションでいた私ですから。

その声のトーンの強さに驚いたと言えば驚いた。

 

確か私、そこで、「そうだね」と言って返したと思います。

そしてすぐに別れました。

 

でも…

なんだかモヤッとした気分が残り、帰宅してからも考えてしまったのです。

 

…だって、更年期は更年期じゃん?

それをどうして、「更年期じゃない」って、「無かったこと」にしなきゃいけないの?

 

 

私の同級生は、私を励まそうとして言っただけでしょう。

彼女はそういう優しい人です。

 

ただね…

私は「(更年期症状で)困っている」とは一言も言ってないんだよね…

 

 

この件を通じ、その物事、問題を、「受け入れている」ことと「口に出さない」ことは、別物だと思いました。

私は、女性には更年期が来るもので、その症状には個人差があるって、知っているし、理解もしています。

更年期症状として、人前で顔から汗が噴き出すことは歓迎しませんが、それも仕方ないと諦めている。

そういうものだから、と。

 

だからそれを、黙っていれば良かったのかな?とも思いました。

それに、「私は更年期ではない」って、真実と違うことを自分に言い聞かせなきゃならないなんて、それも納得できないし。

 

つまり。

私はそういう問題解決の仕方はできないってことです。

自分に嘘はつけないって言うか。

何より私が彼女と違うのは、「更年期症状で辛い」と認めた上で、「じゃあ、どうするか?」の対策を講じる部分ですね。

 

 

 

メンタルケアの仕事を選んだことで、他人のメンタルに接する機会が増えて感じることは、自分の感情や意識を抑圧しなきゃならないために、その感情や意識を「無かったことにする」人が多いということです。

まさに昨日の、同級生の言葉。

『私は更年期じゃない!私には更年期はない!』…か。

 

でもね、これに関しては「正解」はなく、個々で解決すればいいことだと思うのです。

「問題は無かった」と自分に言い聞かすことで問題解決する人もいれば、私のように、「それは問題だ。じゃあ、どうする?」と、問題解決を探す人もいる。

 

 

ちなみに。

私の知人は、熱があって具合が悪い時に、体温を測らないんだとか。

なぜって、体温を測ってしまって「熱がある」という事実を知ってしまうと、「あ~、熱があるんだ」と、本当に具合が悪くなってしまうからだとか(笑)

それを聞き、「熱があるという事実を知っておきたい私」とは全く正反対なんだな~、面白いな~、と思いました。

 

 

問題解決も、自分のやり方でいいんですよ。

他人と同じようにしなくても、大丈夫。

「問題はない」と扱っても、「問題だ」と扱っても、それは自由です。

 

 

 

広告

自分にガマンを強いることと「罪悪感」の関係

貴女は、「罪悪感」を感じたくなくて、自分がガマンする方や犠牲を払う方を選んでいませんか?

 

 

私事ですが、母親が認知症になったり父親が入退院を繰り返して、事実上の介護離職となっていた時期がありました。

その時、親たちの年金だけで生活していて、私はその罪悪感から自分のものを一切買えないという状態に陥っていたのです。

 

食事は、親たちには肉や魚などを買って調理して出すけれど、私は料理しながら台所でご飯にふりかけをかけては立ち食いすることがほとんど。

炭水化物ばかり食べるから、太るくせに、不健康。

そんな生活が1年ほど続いたある日、体調不良で病院行き。

 

体調不良の原因は貧血やら何やらで、こんなに太っているのに栄養不足って…

高い医療費払って、なによ?これ。

本末転倒。バカみたい。

 

 

この時、お勤めして収入を得られないのだから、せめてメンタルケアの方の仕事で稼げばいい。

そう思っていました。

でも、とてもじゃないけど、他人の相談に乗ってあげる、問題解決のために知恵を出す、なんてできる状態じゃなかった。

 

日々の生活でいっぱいいっぱい。

助けてほしいのはこっちの方よ!って感じで、結果的にメンタルケアの仕事の方もほぼ休業状態でしたね。

 

 

私は長女なのですが、子供のころはよく母に言われていました。

「お姉ちゃんなんだから、(妹に)あげなさい!」って。

 

私と妹は5歳年が離れています。

ですから、妹が姉のものを欲しがるような年齢のころには、私も物事が分かるくらいに成長していたんですよね。

 

そして幼い妹が、私が他人にもらったものなどを欲しがると、母親は決まって言う。

「お姉ちゃんなんだから、あげなさい」って。

 

そういう時、私は思っていました。

「私がもらったものなのに、どうして妹にあげなきゃいけないの?」

 

お菓子などの、分けられるものだったらまだいい。

悲しかったのは、分けてあげられないものを要求された時でした。

 

 

そういう幼少期を生きていたからか、私には、自分はガマンして他人を優先するスタイルが定着。

自分がもらったものでさえ妹にあげなきゃならなかったのですから、親がもらう年金で生活するなんて、罪悪感以外の何ものでもなかった。

 

 

でも、もしかしたら私、自分にガマンを強いるための理由を、自分で勝手に作っているんじゃないか?と思ったのです。

「楽に生きてはいけない」と言わんばかりに、自分に負荷をかけるのではないか?と。

 

セルフセラピーカードの「罪悪感」のカードは、まさにこれを絵に描いたもの。

3

あ~、これって単なるドMじゃん?

って、笑えません?

 

…そうですね。

私は、母親に言われたから妹にものをあげたのではなく、妹にあげなかったことの罪悪感を感じたくなかったのかもしれませんね。

「罪悪感」とは、「罪の意識」です。

「自分は罪を犯した」と、「良心の呵責」に耐えられない。

 

でもね、こういう習慣、変えていかなきゃいけないな、と思うわけで。

結局、「罪悪感」は無くても、ガマンや犠牲を払った分は、別のマイナスを背負う形になるんですもん。

そこにメリットなんてないんです。

だって、ただ「罪悪感」から逃げたいだけですから。

 

これからは、「罪悪感」に負けない自分で生きることに、チャレンジです。

ガマンや犠牲を選ぶことのない自分で生きていきたいですもんね。