それは「個性」であり、それは「相性」の問題

とある件で関わった関係者のこと、手相占い師のことや、大失敗した話などを書いた最近ですが。

結局、なんだかんだと言ってたところで、すべて「相性の問題」なのだというところで落ち着きました。 


先日、ふと思ったんです。

私は「個性」というものを大事にしているのに、私がここ最近書いてたブログって、その「個性」を批判したことになってるよね、って。

相手の悪口を言いたくなるのは、その相手に不満があるから。

その不満はどこから来るか?と言うと、「自分の思い通りにならない」ことから来るのです。


そもそも「ストレス」とは、「理想と現実のギャップ」が生み出すもの。

相手が思い通りになるといった形で「理想」が満足されるなら、不満もない。

悪口の言いようもありません。

「あの人が悪い、この人が悪い」

そして、

「自分が悪い」

悪者探し、犯人探しをして、問題の責任をどこへ問うか?

それをすることにより、自分自身も消耗します。


「個性」とは、

その人の感じ方、考え方、意識、能力、育った環境、性格などなど、

その人の「全て」です。

そしてそれらが、「価値観」というものを作っています。


その人が持つ「価値観」というものは、その人が生まれる時に持ってきたものに加え、その人が生きてきた過程で作られたもの。

先天性と後天性がMIXされて作られるものです。

ですから、「価値観」も変化します。

人は変わるのです。


自分に起きたネガティブな出来事を検証し、反省し、次に同じ失敗を繰り返さないように自分を変えることも大事でしょう。

でも、シンプルに、「相性が悪かった」は大いに言えると思いませんか?


仕事や人間関係ほか、物事が長続きしないことについて、「ガマンができないワガママな性格」と、その個性を批判するのは簡単です。

しかし、では、相手側には何も非がないのでしょうか?

私は、あの手相占い師から「仕事はガマンするのが当たり前」だと言われましたが、健康を損ねてまで続ける必要はないと思っています。


そして「個性」として、心身の「強度」もみんな違うということを言いたい。

自分にできるから人もできるだろうと考えるのは、愚かなことだと思います。

体が丈夫な人と弱い人がいるように、メンタルも、強い人と弱い人がいるのです。

それを考えると、「誰が悪かったかれが悪かった」と犯人探しをせず、「あぁ、相性が悪かったのだな」という処理でいいのでは?


成長のためには、自分を変えることも必要です。

でも、「個性」がある限り、「相性」というものもついてまわるもの。

仕事は、やってみないと分からない。

会社も、入ってみないと分からない。

人も、関わってみないと分からない。

最初は上手くいっていても、徐々に合わなくなっていくこともあります。

その逆で、どんどん仲良しになっていくこともある。

ですから、最終的には、お互いに、相手の「個性」を受け入れることができるかどうか?

相手が人であっても会社であっても、物事は何事も。


相手や自分を批判して責めて、ネガティブなエネルギーをまき散らしてしまう、また、抱え続けてしまうよりも、

「相性が悪かった」として、そうそうにエネルギーを切り替えた方が得策だ、と思いました。


「相性が悪いな」と感じたら、できる限り早く、そこから立ち去ること。

生産性のない場所に留まるほど、損なことはありませんよね。

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