私はたびたび「まじめだね」と言われます。
自分では、私ほどだらしのない無責任な人間はいないと思っている反面、やはり、まじめなのだと自覚することは多いです。
「人に迷惑をかけたくない」
私はいつも、思っています。
私の「理想」は「自立した人間」であり、精神的にも肉体的にも経済的にも、人に寄りかかることのない、依存することのない、強い人間です。
しかし現実はこれとはほど遠く、結婚もせずに親のすねをかじり続けて生きてきましたし、メンタルは軟弱、最弱。
以前、某施設で検査を受けた際の「ストレス耐性」が「0.4%」で、その場にいたスタッフ数名も驚いていた状態です。
ストレス耐性が低くてメンタルが軟弱なことは、即、健康に影響します。
すぐに自律神経をやられ、寝込むほどの体調不良に陥るわけですが。
こんな軟弱者の私でも、「人に迷惑をかけたくない」と思っている。
だから、軟弱者なりに、無理をするのです。
でもね。
思うのですよ。
「頑張れ、頑張れ」と自分にムチを打つことは、時に、自分を壊してしまうのだと。
人に迷惑をかけてはいけない。
人間は努力しなきゃいけない。
人とはうまく関わらなきゃいけない。
こうして、生きるための「試練」だと言わんばかりに、自分に厳しくする。
でもね……
これって果たして、常に正しいことなのでしょうか?
仕事は長続きしない、人とも上手く関われない私は、自分に「ダメ人間」のレッテルを貼って生きてきました。
だから、「今度こそ失敗しないように」と、失敗した時は自分を裁き、激しく自分を責める。
でもこれは、「自分を大切すること」とはちょっと違うのではないか?と、思うのです。
失敗をして、反省して、次にまた失敗をしないように自分を戒める。
これは必要なことでしょうし、正しいことなのだと思います。
けれど、こんなに自分を戒めてばかりじゃあ、苦しくないでしょうか?
だって、次は失敗しないようにと、常に自分を監視していないとなりません。
そこには「自由」ってものは無い気がします。
生きる目的が、「失敗しないこと」になっている気もします。
なので私は、思うのです。
時には、自分を守るために、責任逃れをしてもいいんじゃないかな?って。
「私、知らな~い」って言って、無責任に逃げてしまってもいいんじゃないか?
「私のせいじゃないも~ん」って、反省もせずに知らんぷりしてても、いいんじゃないか?
矛盾していますか?
そうですね。
矛盾していますね。
しかし人間は、「矛盾」を抱える生き物なんですよ。
この世は矛盾だらけです。
私たちは、「魂」と「肉体」の両方を持って生きています。
「魂」は成長したいもので、「肉体」には限界があるもの。
だから、日々の出来事による気づきや学びを必要とするのと同時に、有限である自分の体も守っていかないとなりません。
私は心のストレスが体を直撃します。
ですから、時には、「私、知らな~い。私のせいじゃないも~ん」と、「魂の成長」より「生身の肉体」を優先することも必要なのです。
人間には本来、「防衛機制」という、心のストレスを回避しようとする能力が備わっています。
ストレスで心や体が壊れてしまわないよう、言い訳したり逃げたりと、一見良くないと思われる考え方をするのです。
だから、それはそれでいいじゃないですか?
全ての人間に与えられた権利ですから。
確かに、自分と向き合い、問題解決を探す、行動して結果を出すことは、必要なことです。
ですが、自分自身あっての人生、健康あっての人生。
言い訳したり逃げたりする自分を「反省していない」「無責任だ」などと責めずに、そういう自分もアリだな、と、許してあげましょうか。
