「家族が自分たちの生活を犠牲にして認知症の母親に関わっている」ことを伝える

先日、こんな本を買いました。

『人のために頑張りすぎて 疲れた時に読む本』

根本裕幸さんという心理カウンセラーの著書です。


この本を買った時の私は、ちょうど「お疲れメンタル」で、思わず引き寄せられるように手に取った感じでした。

でも、「え?けど私ってどっちかっていうと自己チューだし、人のために頑張りすぎて、って感じじゃないんだけど?」って思ったんですよ。

それでも、このタイトルに魅かれて買ったのは確か。

そして、買って帰ったその晩、一気に最後まで読みました。


買った時には「え?けど私ってどっちかっていうと自己チューだし、人のために頑張りすぎて、って感じじゃないんだけど?」 って思ったのに、いやいや、「え?まるで私?」って感じ(笑)

自分の姿が書かれている、自分が言いたいことが代弁されているようで驚きましたよ。

私は自分が抱えている問題を目の当たりにし、同時にその解決も手に入れた気がしたのです。

そこで、この本に書かれていたことを、実践してみたのでした。


私がしたのは、「自分の価値を言葉にして伝える」こと。

それは、以前からずっと自分を苦しめていた「いい顔して人のために動いて損をする」という部分を何とかしたかったから。

「犠牲になって被害者にならないようにしよう」とは思っていても、そのやり方はまだまだ足りていなかったと分かりました。



本を読んだ翌日、今度母親が入所することになった施設から電話があったのです。

施設の担当者から、年明け7日の週に受け入れたいと。

しかし、7日からは仕事や学校が始まってしまうため、一瞬、どうしようか?と考えて……

私はこう言いました。

「本当は12月中に移動する予定だったんですよね。

でも、今いる施設で早く対応してくれなかったので、年明けでも仕方ないですね。

ですが、年明けで7日以降ってことになると、仕事も学校も始まってしまいます。

妹に会社を休ませるわけにいきませんし、子供たちも学校が始まるので頼めない。

私は会社を休まないとなりませんが。

でも、7日だったら、子供たちが始業式だけで帰宅するので、午後からでしたら手伝ってもらえます」


母親の施設転居に関しては、本来ならば今月初旬には完了している予定でした。

しかし、想定外のトラブルで遅くなってしまった上に、新しい施設への入所は、年末年始はダメ、土日はダメ、とされ、家族が施設側に合わせなければならないことに。


私は、「家族だったら、病気の家族を優先すべき。病気や高齢の家族の面倒を看るべき」という考えが嫌いです。

家族だから、長女だから、と、自分自身の生活の全てを犠牲にしてまで親の介護をする気はありません。

でも、今だからこう言えるのあって、数年前までの私には、こうは言えませんでした。


こういってはなんですが、親の看護や介護を通じて、医療や介護の現場では「家族がすべきだ」とする傾向の部分が多いような気がしました。

では、家族がいない病気の高齢者はどうするのか?

家族が県外在住などで近くに住んでいない場合はどうするのか?

近くに住む家族がいる、介護や看護をする家族がいる、となると、行政を始め医療機関や介護施設は、家族が犠牲を払わなければならないような方向性に向けたがる。

ですから私は、「家族にも自分たちの生活がある」ことを言いたかったのです。

施設への受け入れが、年末年始はダメ、土日はダメ、ということになると、施設側の要求だけが優先されることになり、母親を転居させる側の家族は、仕事を休まないとなりません。

だからせめて、そういう事情が存在していることだけは伝えたかった。

家族側も、自分たちの生活を犠牲にして認知症の母親に関わっているのだと。



私はこの本を読み、今までの自分の概念を180°ひっくり返された気がしました。

なぜって、こうして自分の都合を相手に伝えることは、「言い訳」「余計なこと」のように思っていたからです。

「え?言っていいの?だって、そんなの言い訳じゃん?余計なことじゃないの?」

私のバーバル(言語)コミュニケーションは、「結論を伝える」ことを優先し、そこにおけるプロセスを省く傾向でした。

もともと話の構築が下手くそで、まとまりがなく、独りよがりの伝え方になってしまうと自覚がありましたから。

この本を読まなければおそらく、母親の転居先施設の担当者に「では、受け入れは7日の午後でお願いします」とだけ、言ったでしょう。

けれども、ただそれだけ言ったのでは、「家族が自分の生活を犠牲にして認知症の母親に関わっている」ことは伝わりませんよね?

それどころか、「あの家の人たちは、いつでもOK」なんて、まるで暇しているみたいに思われてしまうかも。




私は今まで公私ともに、少々無理なことも、かなり無理なことも、「いいよ。大丈夫」と安請け合いする傾向でした。

ですが、それをしてしまうと、多少なりとも無理している自分の事情は、相手には伝わらないのですね。

ですから、そこはホントのことを伝え、多少なりとも無理があることを相手に伝えるべきだと思います。


そして、こうして自分の事情を相手に伝えるようになると、「ご機嫌取り」や「偽善」「補償行為(罪悪感などから行う行為)」ですることが減ると思うのです。

世の中には、「人が当然やってくれるもの」と思っている人は山ほどいて、そういう人こそ、こちらの事情など考えていない、気づこうともしていない。

そんな人たちに、自分の大切な時間や労力を、どうして好き好んで与えますか?

そういう人たちに対して、「ご機嫌取り」や「偽善」、「補償行為」で行うから、「犠牲」になるのでは?


相手の要求を受け入れることで、自分が抱えるデメリット、リスクなどの事情を、ちゃんと相手に伝える。

周囲の人たちに伝える。

これって必要なことなのですね。

久々に良い本に出逢えました。

オススメです♪

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