人を扱う仕事には「情」と「仕事のスキル」と両方が必要

私の母親はアルツハイマー型認知症で、現在、とある施設に入所しています。

それが9月上旬からでしたが、つい先週、問題が起こってしまったのでした。

 

そこの施設長から聞かされたのは、うちの母親に必要以上に手がかかっているということ。

なので、「特養(特別養護老人ホーム)を申し込んでおいてほしい」と言われました。

「今すぐに出て行ってくれ」とは言われていないだけで、「手がかかって困っている」ことはハッキリ言われました。

こう言われてしまっては、すぐに次の入所先を探すしかない。

 

入院していた精神病院を出されて、苦労して契約にこぎつけた施設であり、「一生置いてもらえる」と思っていた私はとんでもないショックを受けました。

そしてその後は、つい先ほどまで、解決を求めて右往左往する結果に…

 

 

その件が勃発してから今日まで、数名の「プロ」たちと関わり、相談をしました。

市の行政、介護関係の知人だけでなく、親の介護や看護をした友達まで。

 

そしてそこで、気づいたことがあったのです。

 

介護や看護、保育や教育、セラピストなど、「人を相手にする仕事」をする人に必要なもの。

それは、「情」と「仕事のスキル」の両方だと。

 

 

「情」だけの人は、私の話を聞き、「それは大変ですね」から始まり、「心配です。無理しないでください」など、同情や共感を示します。

でも、「じゃあ、どうしたらいいのか?」の解決策の提示はない。

「寄り添う」だけで終わってしまう。

 

「仕事のスキル」だけの人は、「これが正論だから、現実だから」と言わんばかりに「理屈」を言います。

言葉で私を支配したがるかのような、威圧的な口調さえする人もいました。

しかし、そういう人は仕事ができる傾向で、「やり手」というイメージも。

 

 

今回私は、こうして何名もの「その道のプロ」たちと接触してみて、「情」と「仕事のスキル」といった2つがバランス良く存在している人と繋がっていたい、と思ったのです。

 

私からしてみれば、「その道のプロ」たちは全て、母親のことを一緒に世話してくれる「パートナー」です。

ですから、「パートナーシップ」が構築できないような人とは、一緒にはやっていけない。

 

「情」だけの人は現実問題を助けてくれないし、「仕事のスキル」だけの人は心を助けてくれない。

 

これが例えば工場のラインで部品の組み立てをするとか、パソコンでデータ入力するとか、相手が「人間」ではない仕事だったらいいんです。

そこに「情」は必要ないから、「仕事のスキル」だけあればいい。

 

でも、「人」を相手にする仕事は、同時に「心」という部分も扱っていることになります。

だから、それが事実で、それが現実だからと、相手の心を無視したような発言や振る舞いをする人を、私は嫌いです。

 

そして、あくまでも「その道のプロ」として仕事をしているわけですから、「情」だけでも困ります。

ちゃんと結果を出し、問題解決できなければ、プロだとは思えません。

 

 

この件で私は、メンタルケアを仕事にする者として、自分自身のことも振り返りました。

私は、「情」だけで対応していないだろうか?

「仕事のスキル」だけで対応していないだろうか?

優しく温かく相手の「心」に寄り添いながらも、現実としての問題解決をサポートできているか?

自分自身の「情」と「仕事のスキル」の両方の存在を、常にチェックしながら仕事すべきだな、と思いました。

 

 

 

今回のトラブルは、私の全エネルギーを奪い去り、深海に沈んでいる鉛のような精神状態を作ってしまったのです。

ですが、この件に関わる多くのプロたちや、同じ苦しみをしてきた友達が、味方になってくれたこともまた事実です。

希望の光が射した今日、ようやくこうしてブログを書く気持ちにもなれました。

関わってくれた皆さんに、心から感謝いたします。

 

 

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それは問題か?問題じゃないのか?

昨日のことです。

買い物先で、偶然、中学の時の同級生に会いました。

そこで普通に世間話をしたのですが、私、その会話の中で「モヤッと」したことがあったのですよ。

 

昨日の朝も具合が悪かったりで、家で節電のこと(笑)ばかり考えてても腐るな~って思って外出しました。

ただ、化粧をしていくモチベーションはなく、スッピンのまま。

そこで同級生に会い、お互いの近況報告をしたのです。

 

私、きちんと化粧している彼女に対して、スッピンの自分で少々バツが悪かったのかもしれません。

それに、ブラウス1枚という薄着。

だからなのか、言い訳めいたことを言ってしまったんでしょうね。

 

「私、更年期でけっこう具合悪くてね。太ってるのもあるんだけど、やたら暑くて、こうして薄着しててみっともないよね?スッピンで買い物来ちゃうし」

と、口から出ていました。

すると彼女、「私だってそうだよ!」って。

 

その返事で私、「仲間意識」が芽生えてしまったのか、

「そう? 私、こうやって暑かったり寒かったりが激しくて、体温調整できてないって言うか、自律神経失調気味でね。今朝も具合悪くて」

と、また口から出ていました。

 

そしたら彼女、言ったのです。

「『私は更年期じゃない!私には更年期はない!』って思いなよっ!」

 

 

 

彼女は同級生の中でも、体育会系で元気がいいタイプ。

人の悪口は言わないし、明るくて付き合いやすい女性なので、人間関係が不得意な(笑)私でも、普通に関わっていた同級生です。

その彼女が、強め口調で発言したので、私は少々引きました。

 

まぁ、「家にいて腐るから、気分転換に外出するか…」程度のモチベーションでいた私ですから。

その声のトーンの強さに驚いたと言えば驚いた。

 

確か私、そこで、「そうだね」と言って返したと思います。

そしてすぐに別れました。

 

でも…

なんだかモヤッとした気分が残り、帰宅してからも考えてしまったのです。

 

…だって、更年期は更年期じゃん?

それをどうして、「更年期じゃない」って、「無かったこと」にしなきゃいけないの?

 

 

私の同級生は、私を励まそうとして言っただけでしょう。

彼女はそういう優しい人です。

 

ただね…

私は「(更年期症状で)困っている」とは一言も言ってないんだよね…

 

 

この件を通じ、その物事、問題を、「受け入れている」ことと「口に出さない」ことは、別物だと思いました。

私は、女性には更年期が来るもので、その症状には個人差があるって、知っているし、理解もしています。

更年期症状として、人前で顔から汗が噴き出すことは歓迎しませんが、それも仕方ないと諦めている。

そういうものだから、と。

 

だからそれを、黙っていれば良かったのかな?とも思いました。

それに、「私は更年期ではない」って、真実と違うことを自分に言い聞かせなきゃならないなんて、それも納得できないし。

 

つまり。

私はそういう問題解決の仕方はできないってことです。

自分に嘘はつけないって言うか。

何より私が彼女と違うのは、「更年期症状で辛い」と認めた上で、「じゃあ、どうするか?」の対策を講じる部分ですね。

 

 

 

メンタルケアの仕事を選んだことで、他人のメンタルに接する機会が増えて感じることは、自分の感情や意識を抑圧しなきゃならないために、その感情や意識を「無かったことにする」人が多いということです。

まさに昨日の、同級生の言葉。

『私は更年期じゃない!私には更年期はない!』…か。

 

でもね、これに関しては「正解」はなく、個々で解決すればいいことだと思うのです。

「問題は無かった」と自分に言い聞かすことで問題解決する人もいれば、私のように、「それは問題だ。じゃあ、どうする?」と、問題解決を探す人もいる。

 

 

ちなみに。

私の知人は、熱があって具合が悪い時に、体温を測らないんだとか。

なぜって、体温を測ってしまって「熱がある」という事実を知ってしまうと、「あ~、熱があるんだ」と、本当に具合が悪くなってしまうからだとか(笑)

それを聞き、「熱があるという事実を知っておきたい私」とは全く正反対なんだな~、面白いな~、と思いました。

 

 

問題解決も、自分のやり方でいいんですよ。

他人と同じようにしなくても、大丈夫。

「問題はない」と扱っても、「問題だ」と扱っても、それは自由です。

 

 

 

自分にガマンを強いることと「罪悪感」の関係

貴女は、「罪悪感」を感じたくなくて、自分がガマンする方や犠牲を払う方を選んでいませんか?

 

 

私事ですが、母親が認知症になったり父親が入退院を繰り返して、事実上の介護離職となっていた時期がありました。

その時、親たちの年金だけで生活していて、私はその罪悪感から自分のものを一切買えないという状態に陥っていたのです。

 

食事は、親たちには肉や魚などを買って調理して出すけれど、私は料理しながら台所でご飯にふりかけをかけては立ち食いすることがほとんど。

炭水化物ばかり食べるから、太るくせに、不健康。

そんな生活が1年ほど続いたある日、体調不良で病院行き。

 

体調不良の原因は貧血やら何やらで、こんなに太っているのに栄養不足って…

高い医療費払って、なによ?これ。

本末転倒。バカみたい。

 

 

この時、お勤めして収入を得られないのだから、せめてメンタルケアの方の仕事で稼げばいい。

そう思っていました。

でも、とてもじゃないけど、他人の相談に乗ってあげる、問題解決のために知恵を出す、なんてできる状態じゃなかった。

 

日々の生活でいっぱいいっぱい。

助けてほしいのはこっちの方よ!って感じで、結果的にメンタルケアの仕事の方もほぼ休業状態でしたね。

 

 

私は長女なのですが、子供のころはよく母に言われていました。

「お姉ちゃんなんだから、(妹に)あげなさい!」って。

 

私と妹は5歳年が離れています。

ですから、妹が姉のものを欲しがるような年齢のころには、私も物事が分かるくらいに成長していたんですよね。

 

そして幼い妹が、私が他人にもらったものなどを欲しがると、母親は決まって言う。

「お姉ちゃんなんだから、あげなさい」って。

 

そういう時、私は思っていました。

「私がもらったものなのに、どうして妹にあげなきゃいけないの?」

 

お菓子などの、分けられるものだったらまだいい。

悲しかったのは、分けてあげられないものを要求された時でした。

 

 

そういう幼少期を生きていたからか、私には、自分はガマンして他人を優先するスタイルが定着。

自分がもらったものでさえ妹にあげなきゃならなかったのですから、親がもらう年金で生活するなんて、罪悪感以外の何ものでもなかった。

 

 

でも、もしかしたら私、自分にガマンを強いるための理由を、自分で勝手に作っているんじゃないか?と思ったのです。

「楽に生きてはいけない」と言わんばかりに、自分に負荷をかけるのではないか?と。

 

セルフセラピーカードの「罪悪感」のカードは、まさにこれを絵に描いたもの。

3

あ~、これって単なるドMじゃん?

って、笑えません?

 

…そうですね。

私は、母親に言われたから妹にものをあげたのではなく、妹にあげなかったことの罪悪感を感じたくなかったのかもしれませんね。

「罪悪感」とは、「罪の意識」です。

「自分は罪を犯した」と、「良心の呵責」に耐えられない。

 

でもね、こういう習慣、変えていかなきゃいけないな、と思うわけで。

結局、「罪悪感」は無くても、ガマンや犠牲を払った分は、別のマイナスを背負う形になるんですもん。

そこにメリットなんてないんです。

だって、ただ「罪悪感」から逃げたいだけですから。

 

これからは、「罪悪感」に負けない自分で生きることに、チャレンジです。

ガマンや犠牲を選ぶことのない自分で生きていきたいですもんね。

 

 

「ガマン」が育ててしまう狭量な私

自分が「ガマン」していることを、他人が無遠慮にやってのけるを見て、憎たらしく思ったことはありませんか?(笑)

 

先日、こんなことがありました。

私の可愛いヘタレ甥っ子が我が家に来た時のこと。

彼は「テスト前なので勉強をしたい」「家にいると集中できない」という理由で、たびたび我が家に来ています。

可愛い甥っ子なのでそれは全然構わないのですが、この彼、ちょっと天然というかなんというか、わりとやりたい放題の傾向があるんです。

 

育ち盛りですから、当然、ご飯もとんでもなくたくさん食べます。

彼が来る日は食材を買い足しにいかなきゃなりません。

それでも、可愛いし、私を頼ってくるのだし、と、私はホントに彼に甘々でした。

 

が。

現在、我が家は以前と経済状況が変わり、「節約」を余儀なくされています。

可愛い甥っ子のためとはいえ、お金がかかることで彼に尽くしてあげることが思うようにできなくなってきて。

 

私自身、節約生活の基本である光熱費を減らそうと必死になっていて、コンセントを抜いて歩いたり、窓ガラスにプチプチを貼ったり、食洗器はタイマーにして夜中に回したりと、できることは何でもしているわけです。

電気代がかかる家電を調べることから始まり、時間帯別電気料をメモった付箋を貼って、電気代が1円でも安くなるように必死。

 

なのに先日、我が家に来た甥っ子は…

テレビをつけ、リモコンで番組をあちこち忙しく変えながら、彼はこう言いました。

「テレビ、いいのがやってないよね。つまんないのしか、やってないんだ」

 

私、この一言で、キレてしまったのです。

「じゃあ、消しなさいっ!つまらないんじゃあ、見なくていいでしょっ!?アンタ、何しにうちに来てるのっ!?」

自分で自分がコントロール不能になったことを自覚したくらい、怒りが湧きました。

 

まぁ、テレビのことだけじゃないんです。

彼は、照明やエアコン、扇風機などをつけっぱなしにすることが多く、ママ(私の妹)にも常に注意されている。

 

でもね、私、節電節約しているのは私の都合で、ましてや相手は子供なのだから、こんなオトナの事情を押し付けるのは良くないなって思って、彼には自由にさせていました。

しかし、私は必死になって節約生活を頑張っているのに、なによ、これ?

 

甥っ子が来た日は少し寒くて、甥っ子が勉強する居間は暖房をつけてあげたのですが、パソコン作業する2階の自室は暖房無し。

私は、フリースのパーカーに、膝掛け、マフラー。

そこで私が考えていたのは、「甥っ子に電気を取られてしまっているから私は使えない」ってことでした。

2人いれば、電気も2人分になって当然でしょ。

でも、漠然と、私の頭の中には、電気1人分しか使っちゃいけないって決めつけみたいなものがあり、2人分に増量することを許せなかったのだと思います。

 

正直言ってここ最近、ガソリンも高くなっているせいか、光熱費のことで不安になって眠れない日も多くなりました。

これはそろそろマズいかな?と考えたこともあって、昨夜、この甥っ子とのエピソードを電話で親友に愚痴ったのです。

そしてそこで初めて、自分がどれだけガマンしていたか、自分を追い詰めていたか、に気づいた。

「もう、いっぱいいっぱいだった」ということです。

 

 

自分だけがガマンをする。

自分だけが努力をする。

それをある程度の期間続けたことにより、心は柔軟性を失い、他人に対して寛大ではなくなってしまう。

それを改めて痛感した出来事でした。

なので、今後の節電対策と、甥っ子への対応をどうするか?

ちょっと考えたいと思っています。

行動を変えた結果として私が得られたもの

数か月前から私は、自分の行動を変える努力をしてきました。

その結果として、素晴らしいものが手に入ったことを、ぜひ、シェアさせてくださいね。

 

 

私事ですが。

メンタルケアの仕事の方向性を変えます。

そのために数日前からホームページを作り直していて、感じたことがありました。

 

あ、こっちの方が、(作っていて)楽だな。

それはつまり、私に合っている、「自然体」でいけるってことかも?って。

 

この件はもう、ずっと前から、というか、メンタルケアの仕事を始めたころからの問題というか。

私は常に、自分のしている仕事、自分の仕事のスタイルについて、違和感と猜疑心を持っていました。

「これでいいのだろうか?この道で正しいのだろうか?」と。

 

「自分と同じように苦しんでいる人たちの、役に立ちたい」

そう思ったから、始めた仕事です。

世の中には私と同じように、ストレス耐性が低いが故に心と体を病む人がいるのだから、私は自分の学んだ知識や経験を活かして、役に立ちたい。

そこにこそ、「私の居場所」があるんじゃないか?

いや、そこが「私の居場所」なのだ、と思っていたわけです。

 

でもね、実際は、何となく違っていたというか。

求められることと、提供することが、合わない気がする…

けれども私は、「自分の居場所」を手放したくなくて、「求められることに応じる」=「お客様のニーズに合わせる」ことに徹してきました。

自分の中に存在していた違和感や猜疑心を、ずっと抑え込んだまま。

 

 

が、そんな私にもターニングポイントが訪れた、ということなのだと思います。

生きる環境が変わり、「これから私はどうやって生きていくのか?」と自問をしなければならなくなりました。

 

 

 

私の周りには同業者がいなくて、相談相手といえばいつも、県外在住の親友です。

彼女はカードセラピストとして活動していますから、最も私に近いポジションにいる。

でも、「山梨県」という独特のマーケットで生きる私とは、だいぶ掛け離れているものもありました。

 

メンタルケアという仕事そのものも、広告宣伝が難しいものであり、悩みを抱えるクライアントさんと自分との「温度差」に、常に苦しんできたと思っています。

 

何より私自身が、「メンタルケアの仕事での口コミは期待できない」としていたこと。

だって、ほとんどの人は、自分が悩んでいることを人に話したがらないでしょ?

悩みそのものを人に言わないのに、悩んでカウンセリング受けたことは、もっと言わないはず。

なので私は、ひっそりとホームページを出すことしかしてきませんでした。

 

好きで始めたメンタルケアの仕事。

これはライフワークだから、ユルく活動するのが当然なのだと、稼げないのも当然なのだと、そう自分に言い訳をし、自分自身の欲求やホンネから逃げていたのかもしれません。

 

でも、そんな自分の中での「メンタルケアの仕事」という位置づけ、もっと言うと「価値」かもしれない、今回それを変えたのです。

 

 

 

私はここ数か月間、今までの自分の行動パターンを変えるよう意識してきました。

「今までと違う未来」が欲しくて。

 

すると、思わぬものが手に入った。

それが、「新しい仕事のやり方」に導いてくれたのです。

 

じゃあ、自分の行動をどう変えたのか?というと、

「自分一人で頑張る」から、「みんなに助けてもらう。協力してもらう」に変えました。

 

 

まず私がしたことは、信頼できる県内の友人に頼ったことでした。

するとそこから、導かれていくかのように次々とキーパーソンとの出会いがあり、活動できる場所を提供してもらえるなど、今まででは有り得なかった流れになっていきました。

そして、そこでお客様との出会いがある。

 

そうして私は、気づいたのです。

今の自分の状態が、とても心地良いことに。

 

頑なに他者を拒んでいた過去の私は、何だったのだろう?

なぜあんなに、孤独を求めていたのだろう?

「メンタルケアの仕事は口コミしてもらえない」なんて、単なる思い込みだったの?

と、今までの自分がしていたことが、バカらしく思えました。

 

 

『人を頼る』

これが、私が今までできなかったこと。

なぜならそこには、私にとって、大きな大きな「壁」があったから。

 

でも、行動を変えたことによって、その「壁」は見事に消滅。

あとは、信頼できる周囲の人たちに協力してもらいながら、「役に立ちたい自分」を使っていくだけです。

 

 

「行動を変える」ことには、「勇気」が必要でしょう。

今日こんな風に、自分のことをブログで公表するには少々抵抗があったのも事実ですが、「行動を変えた私」=「成功例」として、知ってほしかったのです。

 

人間、切羽詰まらないと、お尻に火がつかないと、なかなか動けない。

けど、それでもいいと思います。

お尻が丸焦げになる前に、何とか動けたら(笑)

 

 

パワーアップした新しいSyrupでのリスタートに向けて、現在、ホームページを作成中です。

メンタルケアサポートをベースに、今後は、「女性支援」に特化したサービスを積極的に提供していきます。

頑張ります!

「自分を変える」「運気の流れを変える」ために必要なことは

貴女は、「今の自分を変えたい」「今の運気の流れを変えたい」と思ったことはありますか?

 

「でも、どうしたら自分を変えることができるのか、分からない」という声が聞こえてくるのも現実です。

多くの人が、現状の自分や環境に満足せず「変えたい」と願っているのに、実際は変えられていないというケースが多い。

 

けどね、「自分を変える」「流れを変える」方法って、言葉にするのはわりと簡単。

 

何かを変えたいなら、今までのやり方と別のやり方をすればいいのです。

今までと同じことをしていたら、今までと同じ結果にしかなりませんから。

 

これは、未来解決志向カウンセリングの基本中の基本で、

「上手くいったことは、もう一度やってみる。上手くいかなかったら、やり方を変えてみる」なのですよ。

 

同じように動くから、同じように失敗するでしょ?

なので、これはもう、「行動を変える」に限る。

 

自分を変えたいなら、自分の行動パターンを崩し、「別人のような」行動をしてみるのです。

今までの自分だったら普通にしていたことを、しない。

今までの自分だったら普通にしなかったことを、する。

 

 

人間には「恒常性(ホメオスタシス)」という機能があり、これは、体の中を「一定の状態に保ち続けよう」とするものです。

ですので気持ち的にも、今までと違うことをするには、抵抗があるのかもしれません。

 

 

私も、もっと自分が幸せを感じられる状態で、日々生活したいと思っています。

それには、習慣化してしまっているネガティブな意識や行動を、変えていかないと。

 

さぁ、今日はどれだけ行動を変えることができるか?

自分にチャレンジです(笑)