私の犠牲の上で得した気分になっている奴が憎い。

今日は私自身のこと。

なので、ですます調ではなく、語尾は言い切りで。


セルフセラピーカード No.11 「犠牲」



私は、人間関係の構築が得意ではない。

それは、自分とも他人とも争いたくないからだ。

だから、問題が起こるとその場から逃げ去るが、逃げられないとなると、自己犠牲を選んでしまう。

とにかく、ゴタゴタしたくない。

丸く収めたい。

自分の方に火の粉が降ってくるのはごめんだ。

そう思って生きてきた。

しかし、毎日愛猫とばかり顔を突き合わせて生活するわけにもいかず、気が合う、合わないに関わらず、誰かどうかと関わっていかねばならないのが現実というもの。

なので、関わる人間は最小限にとどめ、最初から人とはむやみに関わらないというスタイルを選んできたのだ。

ところがここ最近、そういう生き方を変えなければいけないと言われてるかのように、最も苦手とする「人間関係の構築」を求められている。

人と関わるのは、仕事の時だけで十分だ。

あとは、信頼できる親友や家族がいればいい。

なのに、どうして、こう、試練を与える?

試練だと分かっているだけに、辛い。

現在、水星逆行中だけれども、どうやら今回の逆行は、私の人間関係・コミュニケーションスタイルを激しく揺さぶってきている気がする。

苦手なものに対峙させられるストレスによって、パワーが落ち、もうそろそろ正気が保てなくなるのではないか?という不安さえ発生。

解決はどこにあるのか?を模索してはいるものの、逆行中の水星に邪魔されているかのように、うまくいかないのだった。


私は、誰のことも傷つけず、誰からも傷つけられずに生きていきたい。

だから、相手に迎合し、逆らわず、媚びて、言いたいことがあっても言わず、自分がガマンすることでトラブルを回避しようとしてきた。

相手に異論を唱えればケンカになる。

ケンカとまではならなくても、相手は気分を害すだろうし、その場の雰囲気も悪くなるだろう。

私は、そういうのが嫌なんだ。

最も避けたいのは、異論を唱えたことによる、相手からの攻撃よ。

「責められている」と勘違いした相手が、攻撃によって身を守ることはよくあること。

その攻撃によるダメージを考えると、自分がガマンしたり犠牲になる方のダメージを選んできた…というわけだ。


しかし。

結局、ガマンという形で「犠牲になった自分」も、黙ってはいない。

「ガマンさせられた」「犠牲になった」と相手を憎み、恨み、「怒り」という形になって私の中で膨れ上がる。

攻撃されたくないし、ゴタゴタしたくないから、と、ガマンして犠牲になる方がマシだという自分と、主導権争いを始める。

「悪いのはあの人の方なのに、どうして私がガマンしなきゃいけないのよっ!?どうして私が損しなきゃいけないのよっ!?」

けれども私はそこで、「いやいや、私も悪いんだよ。むしろ、私の方が悪いんだよ」と、自分の中の「怒り」をなだめにかかる。

それはつまり、「お前は間違えてる。お前はここに居てはいけない」と、「自分の中の怒り」に言ってることと同じ。

「怒り」に居場所を与えないという、とても恐ろしい技なのだ。


こうして私は、「他人と争いたくない」「傷つけたくない、傷つけられたくない」と願うあまり、自分自身と激しく争い、心の自傷行為を繰り返してきた。


…… でも、もう、嫌だ。

こんなストレスからは、早く解放されたい。

怖いのは、こうして虐げられ続けた「怒り」が、ある時、予告なしで爆発すること。

「キレる」というやつだ。

それは、「怒り」という液体で満タンになったグラスが、表面張力でプルプルしているところへ、たった1滴、「イラッと」が落ちた時。

その「イラッと」がトリガーとなり、グラスの中の「怒り」が零れ出す。

私の人生は、これの繰り返しだった。

そして、そこまで必死で守ってきた相手との関係性も破壊され、お互いに嫌な思いをするという最悪の別れに繋がる。

そこでの損失の大きさもまた、ハンパない。



そもそも、何をそんなにガマンするんだ?

どの辺で自己犠牲を払うのか?

私は、相手に異論を唱えたり下手な自己主張をして、それに怒った相手から攻撃されることへの恐怖と、「かわいそう」だとか「頑張ってるから」だとかの「同情」が強い。

それに、例えば相手がお客さんの場合は、「この程度のサービスで金を取るのか!?」とか、クレームが来ることが怖いのだ。

自分自身と自分のサービスに自信がないから、いつでも弱気のアプローチになる。


ライフワークのメンタルケアワークだけでなく、ライスワークの派遣CADオペなどでも全く同じだった。

自分の描いた図面に自信がない。

設計士から文句言われたらどうしよう?

仕事ができない奴だと評価され、次の契約を更新してもらえなかったらどうしよう?

そんなことばかり考えてしまい、今年になって数か月働いた派遣先では、後遺症が残るほどの心身症を患ってしまった…

しかし、もう、そういう自分とはお別れしたい。

相手と争わないかわりに、相手を傷つけないかわりに、自分自身の中で争いが起こり、自分自身を傷つけ、その結果、体調を崩す、病気になる。

こんな生き方を、いつまで続けるのか?


私は、自分ばかりを悪者にし、他人を責めることができない。

自分がされて嫌なことを、他人にもしたくないのだ。

でも。

でも、だよ?

私だって、自分が大事なのだ。

ガマンして犠牲になって、私は、私がかわいそう。

私が犠牲になっていることなど知ろうともせず、私の犠牲の上で得した気分になっている奴が憎い。


こうして、浄化されずに溜まり続ける「不満」は「怒り」と化し、マイナスのエネルギーを社会に放出することになる。

そのマイナスのエネルギーは、出した場所に戻るのだから、私はいつまで経っても癒されない。

だから、もう、この生き方は終わりにする。

マイナスを生まない生き方にシフトする。

「緋呂子さんて、ズケズケと言いたいこと言うし、感情的だし、攻撃的だし、嫌な人だよね」

はい。

私は前から、そういう人なのよ。

それでいいの。

もう、開き直るわ。



広告

「お客様は神様」ですか?

昨日の午前中は、女性ビジネスパーソンを対象にしたコミュニケーションセミナーで、久々に講師をさせていただきました。

エステ、化粧品関係、保険関係の女性たちに集まっていただいたのですが、みなさん、とってもしっかり参加されていた、という印象でしたね。

セミナーの内容は、マーケティングの基本知識、コミュニケーションスキルであるアサーションと一般的な心理学から、集客に必要な部分を抜粋しました。

私のセミナーや講座はいつもオリジナルの内容なので、終わってからのみなさんの感想が気になるところですが、昨日は皆さんから「楽しかった」と嬉しいお言葉を多数いただきました。

ありがとうございました。




私自身もまったく同じですが、みなさん、仕事=収入のため、ですよね。

ですから、収入アップのための努力をするわけです。

個人事業主さんたちは収入が努力次第というか、何もしないとお客さんをGETできませんから必死。

ただ、その必死さ、熱意が、ちょっとした問題やストレスを作ってしまうのも現実のようでした。


「お客様は神様です」

こんな言葉が世に出たせいなのか、自己犠牲を払ってお客様に尽くしてしまう売り手になってしまう…

でも、本当に、お客様って神様なんでしょうか?

「人間」が「人間」にサービス・商品を提供し、その対価をいただく。

このシンプルなシステムが商売ですよね。

なのに、「お客様は神様です」と言われてしまうと、売り手と買い手のパワーバランスみたいなのが変わってきてしまう気がするのです。

簡単に言うと、そこに「上下関係」が発生し、買い手側が上で偉い、売り手側が下、的な。



昨日、ある参加者さんが仰っていました。

「お客様からのメールに対し一刻も早く返信しなければと思うのだけど、家事や子育てに追われて時間が取れずにいて、気がつくと疲れ果てて寝てしまったりしては、返信が翌日になってしまうことがある」

そうなんですよね。

これは、私も経験があります。

私は親の介護が必要だった時期、メンタルケアの仕事はおろか、普通にお勤めに行くことさえできませんでした。


女性は家庭に縛られがちです。

仕事よりも家庭を優先しなければならないことは、ほとんどの女性たちが抱えていることだと思います。

なので、自分自身や、家族、家庭を後回しにしてまで、お客様にメールを返信しなくてもいいのではないでしょうか?

彼女はエステティシャンであり、化粧品販売もこなすBAさんですが、未就学児のママでもあります。

ですから、小さな子供がいる、家庭がある、という現実を、まずは「自分自身が受け入れて許す」ことが必要だと思うのです。

もちろん、中にはプロ根性が強く、家庭のことを仕事に持ち込みたくない女性もいるはず。

でも私たちは、なぜ仕事をするのか?

なぜ収入が必要か?お金が必要か?

それは、自分や家族が生きていくためですよね?

仕事をしたくて生きているのではありませんよね?


「お客様」か?「自分の生活」か?と悩んだ時には、自分にとって何が一番大切か?を考えれば、解決する問題は多いでしょう。



「お客様は神様」かもしれません。

だとしたら、自分自身を犠牲にしてまでお客様に尽くすことは、生贄を差し出すようなものだと私は思うのです。

「仕事」も「お客様」も、「代わり」「替え」があります。

でも、自分自身の体や家族は、唯一のもの。

どちらを優先すべきか?は、即答できるはずです。

楽しかった日曜日→イベントにお出掛け

「楽しかった日曜日」なんて、まるで小学生の作文のタイトルのようですね(笑)

私事ですが、昨日、甲府駅北口よっちゃばれ広場で開催された、「グリーンベジ甲府2018」というベジフェスに行ってきました。

妹と姪っ子を誘い、3人で出かけたわけですが。




アウトドアが嫌いな私は、こういった屋外でのフェスなんて絶対無縁な人だと思っていましたが、意外に意外に、とても楽しくて、思い出深い日になりましたよ~

ベジフェスなので、会場は、お肉を使わない食べ物でいっぱい。

まずは、姪っ子リクエストの金時豆シチューに始まり、タマゴは使っていないけど、言わなきゃ分からないってタマゴ風ラップサンドやらを食べ歩き。

キッシュやパンも買う~、コーヒー飲む~と、まぁ、お腹パンパン状態で会場をぐるぐる。

感動したのは、キジネイロさんってお店の手作りジャム!

そのジャムをつけて食べたくてパンを買ったくらい、魅力的なジャム。

困った。

ファンになってしまった(笑)

カラフルな麻紐でぐるぐる巻きしたコケ玉のグリーンも欲しかったのですが、これから寒くなる我が家地域では枯れてしまうかも?と思って買えませんでした。

そして、駅の構内で買った明野の大根!

さっそくおでんにして、妹親子と夕食でいただきましたよ。

妹や姪っ子も、それぞれ自分たちの欲しい食べ物を食べ、買い物し、ご満悦。

でもね、楽しかったのは、こうして美味しいものとの出会いだけではなかったのです。

そこに出店していた人たちと会話できたことも、「楽しい日曜日」のための大事なエレメントだと思っています。

みんな、自分の提供する商品やサービスを愛してるんだな~って感じ?

「美味しかったですよ」と声を掛けた時の反応や、その商品を作るまでのプロセスの説明は、みんな、楽しそうでしたから。

だからそこには、この人たちの「喜び」があるんだな…と、思ったわけです。

だって、嫌々やってる人がいないでしょ?


会社にお勤めに行ってると、嫌々働いていて、愚痴や文句ばかり言う人が多い。

「やらされてる感」が強いっていうか、まぁ、それって被害者意識ですけどね。

でも、昨日のベジフェスには、そんな被害者意識持ってる人は出店しないでしょうし。

人間、お金だけを求めると、嫌々仕事に通うことになりかねないと思います。

けど、「作る喜び」「与える喜び」が伝わってきた昨日の出展者さんたちは、お金だけを求めているんじゃないのでしょうね。

そういうの、「深いな」って思います。


私も正直、メンタルケアの仕事だけでは、食べていくことができません。

なので、ライスワークとしてお勤めに行くのですが。

「自分の好きなことをしてお金をもらう」ことで食べていけるようになれば、どんなに幸せだろうと思うのですよ。

でも今は、ライスワークとのダブルワークは卒業できません。

ですから、ダブルワークという形になっても、メンタルケアの仕事から得られる「喜び」を大切にしたいと思います。



「楽しい」は、自分自身だけでなく、他者も幸せにするのですね。

昨日1日で、そんなことを改めて痛感しました。

ああいうイベント、やみつきになりそうです(笑)

「自分を許す」ということ

「自分を許す」ということ。

これができたら、抱える問題は激減するのだと思います。 
 

「自分を許す」とは、自分に「許可をする」ことであり、自分に「OK」を言ってあげることです。

自分に「OK」が言えますか?

「欲しいもの買ってもいいよ」

「遊びに行ってもいいよ」

「会社休んでもいいよ」

「人に迷惑かけてもいいよ」

「家事はしなくていいよ」

どうでしょうか?

「したいこと」にも許可をする、「したくないこと」にも許可をする。

自分の中の「YES」にも「NO」にも、「OK」を言う。

これが「自分を許す」ということですが、できますか?


自分を許せない、というよりも、「許せない自分」「許可できない自分」「OKを言えない自分」が多い人ほど、ストレスを抱えがちです。

そりゃそうですよね。

自分を縛って自由を奪うのですから、窮屈で、不満だらけになるでしょう。




これは私のことですが。

実は少し前、ストレスで体調不良が顕著になりました。

自分なりに何とか対処しようと奮闘してはいましたが、自律神経失調症気味になり、いよいよ困って病院を受診したのです。

するとそこで、精神安定剤を処方されました。

薬の怖さを知っているので「飲みたくない」と医師に訴えたけれど、「今は飲んだ方がいい。少量だから」と説得されてしまい…

それは当然のことだろうとは思いましたが、メンタルケアの仕事をしているのに精神安定剤を処方されてしまったことが情けなくて、辛くて、薬局で泣いてしまいました。

でも対応してくれた薬剤師が、私の話を親身に聞いてくれて、「薬に頼らなきゃならない時もありますよ」と…

そこで私は、「メンタルケアの仕事はしているけれど、それ以前に私も生身の人間なんだ」と、薬を飲む事を自分に許可したのです。


そんなことがあって以来、それが「きっかけ」となったのか、私は自分が抱える不満や欲求に、次々と許可できるようになりました。

「言いたい自分」に許可をする。

「逃げたい自分」に許可をする。

以前はできないことでした。

言いたいことがあっても、相手にどう思われるか?ばかり気になり、結局言葉を飲み込んできました。

それに、人間関係などのゴタゴタに巻き込まれ、嫌で逃げたくでも、逃げるのは無責任だと自分を責めては、嫌な思いをし続けることを選択していたのです。


でも、今は違う。

私はもう、自分を許しました。

「したい自分」も「したくない自分」も、「OK」にしたのです。


もちろん、自分ひとりで生きているわけではありませんから、周囲と足並み揃えることも必要でしょう。

ですが、「自分の気持ち」は自分のものだから、そこは「OK」する。

周囲と強調するために、自分の気持ちと行動が一緒じゃなくても、それも「OK」なのです。



自分に課すタブーが多いと、苦しい。

ですから、1つでも2つでもいい。

そのタブーから自分を解放する。

自分を許すことは、自分への「愛」なのですから。