ひとつ終わり、ひとつ始まる。ひとつ手放し、ひとつ前に進む。

今年も今日で終わりですね。

1年間、お疲れ様でした、と、自分に言ってあげたいところです。

2018年の最終日の今朝、私は1年の集大成とも言えるコミットメントをしました。

ここ数か月の自分の身に起こったこと、それに対しての自分のレスポンスを考え、自分が手放さないとならないことがハッキリしたので。


私は幼少期に、親から、自分が望む形での愛情がもらえませんでした。

その影響で、大人になってから、親からもらえなかった愛情の代わりを周囲に求める傾向です。

でも、そういう生き方は正しくない、不毛な行為なのだと理解できるようになりました。

ですが、人として生まれ、生きて、人から愛されたい、好かれたい、認められたい、求められたい、という欲求が消えたわけではありません。

それゆえ、迷走しては消耗するといった繰り返しをしているのだと思います。


相手と時間を共有し、その中で相手を知り、それが分かり合えない関係だと分かった時、私は傷つきます。

どんなに慕っても自分が想うほど相手からは想われないのだと分かった時、生きている価値などないのではないか?とさえ考えたりします。

けれども、「個性」というものは全ての人に存在するもので、それによる「相性」の良し悪しもまた存在するのです。

例え親子であっても、価値観の合わない者同士は上手くいかない。


そして、悲しいのは、自分の価値観と違う相手を、否定し、批判し、疎外しようとすること。

人間関係のトラブルは、こんな感じの原因から始まる気がします。

「価値観の違いを、どうするか?」

これが人間関係の課題なのでしょうね。


私は今朝、今まで関わっていた相手としばらく距離を置く覚悟を決めました。

価値観の溝が埋められず、これ以上一緒にいると争って傷つけあう結果にもなりかねないと判断したからです。



今年も、様々な出会いがあり、様々な別れがありました。

「どうして私は、人のと関係や物事が長続きしないんだろう?」

以前はそう自問してばかりいましたが、その理由も今になれば分かります。

私にとって、出逢って関わる人は、みんな、その時の学びを共有するソウルメイト。

ですから、学びが終われば速やかに解散、といった流れになるのだと思うのです。


「現状維持は、実は下降」と教えてくれた人がいますが、その通りだと思う事が最近多くて。

「上昇」を求めて生きるためには、「変化」は必要不可欠なものではないでしょうか?

なので、2018年の最後の最後に、ひとつの執着を手放し、「現状維持」ではなく「一歩前へ進む」ことを決めたのでした。


ひとつ終われば、ひとつ始まるでしょう。

人間は、執着を手放すごとに前に進む。

手放したものが大きければ大きいほど、次に手に入るものは、手放したもの以上の大きさのものだと思います。


時間は流れています。

動いています。

ですから、その流れに逆らわず、自分も変化を受け入れて生きる。

辛いことも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、全部、その変化の流れの中にあります。

自分と向き合い、流れを止めている執着、心の枷となっている縛りに気づき、ひとつひとつ手放し、枷を外していく。

来年もこの作業を続けていくことを自分自身にコミットメントした、2018年の最終日。



とにかくとにかく、1年間、一生懸命に生きた自分に、「お疲れ様」を。

みなさまも、よいお年をお迎えくださいませ。

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仕事と人間関係のストレスが原因で会社を辞めたらいけませんか?

ずいぶん前ですが、行きつけの美容院でのことです。

いつも担当してくれる男性美容師Kさんが話してくれたのですが、美容師さんて、シニアになって残ってる人って少ないって。 

その理由としては、やはり仕事がキツイって多いみたいでした。

若い人でないと大変って言うか。

過酷な仕事なんだな、って思いました。


で、その時、「辞めたくないのに辞めざるを得なかった同僚の話」もしてくれたんですよ。

Kさんと同じ店で働いていた、その男性美容師Aさんは、薬剤でかぶれる体質だったのだそうです。

美容院では、シャンプー、リンス、トリートメント、パーマ液、カラーリング剤など、ケミカルな液体を使いますよね。

ヘアセットする時に使うスプレーやワックス、クリームなどもケミカルなもの。

男性美容師Aさんは、それらの薬剤でかぶれてしまう体質でしたが、頑張って仕事を続けていたのだそうです。

しかし、Kさんが言うには、「そのかぶれが手から腕に広がっていって、胸や背中にも広がってしまったんですよ。それで結局、美容師を続けられなくなったんですよね」ってことでした。

仕事が嫌だったとか、お店の人間関係が嫌だったとかではなく、使う薬剤でかぶれる体質だった……

それで仕方なく、美容師をやめた。

この話を聞き、私は「あー、かわいそうだな~」と思いました。


でもね。

同じように「仕事を辞める」のでも、「仕事が嫌だ」「嫌いな上司がいる」などの理由で辞めたら、どうでしょうか?

「あー、かわいそうだな~」って、思いますか?

「薬剤かぶれで美容師をやめる、美容院を辞める」ことと、「仕事が嫌だ、人間関係が嫌だ、と会社を辞める」ことと、何が違うのでしょうか?

前者だと「仕方ない」だけでなく「同情」までついてきますが、後者だと「ワガママだ」「ガマンが足りない」「コミュ障」など、批判までされませんか?

「勤めていた職場を辞める」ことは同じなのに?


じゃあ、会社を辞めるのに、どんな理由だったらいいのでしょうか?

どんな理由だったら、批判されずにいられるのでしょうか?



私は今年に入ってから5ヶ月間、とある派遣先でCADオペをしていました。

辞めた理由は、「仕事と人間関係のストレスで体調不良になったから」です。

その時に始まった耳鳴りは後遺症となってしまい、治ることはなく今もなお24時間、私を苦しめています。

24時間続く耳鳴りと、これから私は一生、付き合っていかなきゃならないのです。

耳鳴りは難聴を引き起こし、今は電話も聞き取りにくい状態ですよ。



「ストレスが原因で」という理由は、会社を辞める理由になりませんか?

最近、就活の面接の場で、前の派遣先を辞めた理由を聞かれ、「ストレスが原因で体調不良になったので」と言ったところ、ちょっと嫌な雰囲気になったので。

その時心に引っ掛かったことを、今日は書きました。

それに、先日、あの手相占い師に「ガマンができない性格だ」と散々責められましたからね。

まぁ、逆に、本当にガマンができない性格なら、さっさと派遣先を辞め、後遺症になるほどの耳鳴りなど抱えずに済んだのでしょうけど(笑)

「厄病神」「トラブルメーカー」廃業届

昨日の投稿、タイトルにインパクトがあったせいなのか、アクセス数が多くて驚きました(笑)

昨日のブログネタになった「人間関係」の件ですが。

昨夜、キレイに解決し、衝撃の余韻は残ってはいるものの、ようやく前を向いて動き始めることができるかな?というところです。

そして、私にとって今回のトラブルは、とても大きくて大切な気づきを得た学びでもありました。

残念ながら結果的には、誰も傷つかないという円満な解決には至りませんでした。

ですが、問題に関わった人すべてがソウルメイトであって、個々に学びがあり、誰が悪かった、誰に責任がある、とかではないということ。



私は、自分が関わるトラブルは、すべて自分のせいだと、すべて自分が悪かったせいなのだと思い込む癖があります。

そのルーツは、母親との関係にありました。


我が家の母親は、自分を反省することをしない人です。

自分が嫌な思いをすると、それをすべて人のせいにし、人を責めます。

私は幼いころから、この母親に「厄病神」と罵られて育ち、「この家のトラブルは全部アンタが持ち込んでくる!」と怒鳴られたこともあります。

確かに私は、母親のお気に入りになれるような子供ではありませんでした。

母親は、自分に逆らわず、世間での自分の評判を上げるような、従順で優秀な子供を望んでいたわけです。

しかし私は、言う事は聞かない、口答えする、問題を起こして学校には呼びつけられる、と言った子供でしたから、母親が私を嫌っていても仕方なかったと思いますよ。


自分の思い通りにならない他人は、それが例え我が子であっても、嫌悪し、憎み、「厄病神」と罵る。

そんな母親と共に生きたせいか、何か問題が起こると私の頭の後ろで「アンタのせいで!」という声がするようになってしまったのです。

これこそ、「罪悪感」の種。



今回、自分が関わった人間関係のトラブルを終わらせようと、私は自分が悪かったせいだ、と、私だけが悪者になる形を選びました。

それを、問題の関係者のひとりにメールしたところ、その相手にこう言われたのです。

「緋呂子さんは、自分がトラブルメーカーだという自覚があるんでしょ?」と。

実際、その人へのメールには、「私がトラブルメーカーだから迷惑を掛けてしまった」と書きました。

でもそれは、本心で書いたものではなく、私的にへりくだった謙遜での表現でした。

けれどもその言葉を表面的にだけ掴み、「自分がトラブルメーカーだという自覚があるんでしょ?」という発言って……

私はそこで、自分の母親を思い出したのです。

あぁ、私はこうして、いつも自分で自分を悪者にしていたんだな……

そう気づいた。


今回私が関わった問題の発端は、ある友人が、共通の知り合い同士の中での、ある人への不満を愚痴ったことにあります。

私は、何もしないで陰口悪口言うのが嫌な性分だし、仕事に関わることだったので、その愚痴の対象となった人に直接話を聞き、自分なりに良い方向に行くよう動いたつもりでした。


黙っていれば。

あの時、黙っていさえすれば、声を上げなければ、愚痴だと聞き流していれば、こんなことにならなかった、とは思いますよ。

でも、私にはできませんでした。

その友人の言い分にも納得できたし、話し合いで解決できることではないか?と考えたから。

しかしこのことが結果的に私を「トラブルメーカー」という位置づけにしてしまった。

ただの愚痴、不満を、「問題」として「表面化させた」ことで、「トラブルメーカー」と、「私だけが悪い」になってしまったのでしょうね。


実はこういうことは、子供のころから数えきれないほど起こっていて、「冤罪」によって会社をクビになったこともあるくらいです。

おそらく、そういうカルマを背負って生まれてきたのかもしれない、と自分では思っています。


では、今回の件は、本当に私だけが悪く、本当に私はトラブルメーカーなのでしょうか?

私は、すべてを他人のせいにして陰口しか言わない、自ら解決に向けて動かない人は、卑怯者だと思います。


なので、自ら先頭切って動き、「迷惑な奴」「面倒臭い奴」とレッテルを貼られる……

いつもこうして、悲しい結果になるわけです。



でも。

私の失敗は。

私のダメなところは。

「不満」や「陰口」という「闇」にあったものを、暴露、表面化し、白日の下にさらしたことではない。

私が改善すべきことは、そうしたことで他人に責められて、自分もそうした自分を一緒になって責めること。

母親が、「アンタのせいで!」と私を責め、私も「アタシのせいで!」と自分を責めてきたこと。


私は「厄病神」でも「トラブルメーカー」でもない。

もう、自らその役割を買って出ることは、金輪際しません。

そんな役割を買って出たところで、誰も救わないし、自分自身を不幸にするだけです。


ただし、私も、反省すべき点がないわけではありません。

感情的になって動いたことも事実ですし、よく確認せずにフライングしたことも認めます。

だから、反省は反省として次に同じ失敗をしないようにして、自分を責めることはしないでいようと決めました。


その場所を去った私のことを、残った関係者で悪口言うなら、言ってくれてかまわない。

言いたいだけ言えばいいと思っています。

物事を人のせいにして自分を反省しない人には成長はなく、同じレベルの人を引き寄せて同じようなトラブルを繰り返すだけのことですから。

過去の自分がそうだったので、これは間違いないと言えます。

なので、私は、今回自分のしたことから目をそらさずに、自分が悪かったところは認め、反省し、次に同じ過ちを繰り返さないようにすることにしました。





問題も問題解決も、自分の中にあります。

見るべきは、見えている他人ではなく、見えていない自分自身なのですね。

人を扱う仕事には「情」と「仕事のスキル」と両方が必要

私の母親はアルツハイマー型認知症で、現在、とある施設に入所しています。

それが9月上旬からでしたが、つい先週、問題が起こってしまったのでした。

 

そこの施設長から聞かされたのは、うちの母親に必要以上に手がかかっているということ。

なので、「特養(特別養護老人ホーム)を申し込んでおいてほしい」と言われました。

「今すぐに出て行ってくれ」とは言われていないだけで、「手がかかって困っている」ことはハッキリ言われました。

こう言われてしまっては、すぐに次の入所先を探すしかない。

 

入院していた精神病院を出されて、苦労して契約にこぎつけた施設であり、「一生置いてもらえる」と思っていた私はとんでもないショックを受けました。

そしてその後は、つい先ほどまで、解決を求めて右往左往する結果に…

 

 

その件が勃発してから今日まで、数名の「プロ」たちと関わり、相談をしました。

市の行政、介護関係の知人だけでなく、親の介護や看護をした友達まで。

 

そしてそこで、気づいたことがあったのです。

 

介護や看護、保育や教育、セラピストなど、「人を相手にする仕事」をする人に必要なもの。

それは、「情」と「仕事のスキル」の両方だと。

 

 

「情」だけの人は、私の話を聞き、「それは大変ですね」から始まり、「心配です。無理しないでください」など、同情や共感を示します。

でも、「じゃあ、どうしたらいいのか?」の解決策の提示はない。

「寄り添う」だけで終わってしまう。

 

「仕事のスキル」だけの人は、「これが正論だから、現実だから」と言わんばかりに「理屈」を言います。

言葉で私を支配したがるかのような、威圧的な口調さえする人もいました。

しかし、そういう人は仕事ができる傾向で、「やり手」というイメージも。

 

 

今回私は、こうして何名もの「その道のプロ」たちと接触してみて、「情」と「仕事のスキル」といった2つがバランス良く存在している人と繋がっていたい、と思ったのです。

 

私からしてみれば、「その道のプロ」たちは全て、母親のことを一緒に世話してくれる「パートナー」です。

ですから、「パートナーシップ」が構築できないような人とは、一緒にはやっていけない。

 

「情」だけの人は現実問題を助けてくれないし、「仕事のスキル」だけの人は心を助けてくれない。

 

これが例えば工場のラインで部品の組み立てをするとか、パソコンでデータ入力するとか、相手が「人間」ではない仕事だったらいいんです。

そこに「情」は必要ないから、「仕事のスキル」だけあればいい。

 

でも、「人」を相手にする仕事は、同時に「心」という部分も扱っていることになります。

だから、それが事実で、それが現実だからと、相手の心を無視したような発言や振る舞いをする人を、私は嫌いです。

 

そして、あくまでも「その道のプロ」として仕事をしているわけですから、「情」だけでも困ります。

ちゃんと結果を出し、問題解決できなければ、プロだとは思えません。

 

 

この件で私は、メンタルケアを仕事にする者として、自分自身のことも振り返りました。

私は、「情」だけで対応していないだろうか?

「仕事のスキル」だけで対応していないだろうか?

優しく温かく相手の「心」に寄り添いながらも、現実としての問題解決をサポートできているか?

自分自身の「情」と「仕事のスキル」の両方の存在を、常にチェックしながら仕事すべきだな、と思いました。

 

 

 

今回のトラブルは、私の全エネルギーを奪い去り、深海に沈んでいる鉛のような精神状態を作ってしまったのです。

ですが、この件に関わる多くのプロたちや、同じ苦しみをしてきた友達が、味方になってくれたこともまた事実です。

希望の光が射した今日、ようやくこうしてブログを書く気持ちにもなれました。

関わってくれた皆さんに、心から感謝いたします。

 

 

行動を変えた結果として私が得られたもの

数か月前から私は、自分の行動を変える努力をしてきました。

その結果として、素晴らしいものが手に入ったことを、ぜひ、シェアさせてくださいね。

 

 

私事ですが。

メンタルケアの仕事の方向性を変えます。

そのために数日前からホームページを作り直していて、感じたことがありました。

 

あ、こっちの方が、(作っていて)楽だな。

それはつまり、私に合っている、「自然体」でいけるってことかも?って。

 

この件はもう、ずっと前から、というか、メンタルケアの仕事を始めたころからの問題というか。

私は常に、自分のしている仕事、自分の仕事のスタイルについて、違和感と猜疑心を持っていました。

「これでいいのだろうか?この道で正しいのだろうか?」と。

 

「自分と同じように苦しんでいる人たちの、役に立ちたい」

そう思ったから、始めた仕事です。

世の中には私と同じように、ストレス耐性が低いが故に心と体を病む人がいるのだから、私は自分の学んだ知識や経験を活かして、役に立ちたい。

そこにこそ、「私の居場所」があるんじゃないか?

いや、そこが「私の居場所」なのだ、と思っていたわけです。

 

でもね、実際は、何となく違っていたというか。

求められることと、提供することが、合わない気がする…

けれども私は、「自分の居場所」を手放したくなくて、「求められることに応じる」=「お客様のニーズに合わせる」ことに徹してきました。

自分の中に存在していた違和感や猜疑心を、ずっと抑え込んだまま。

 

 

が、そんな私にもターニングポイントが訪れた、ということなのだと思います。

生きる環境が変わり、「これから私はどうやって生きていくのか?」と自問をしなければならなくなりました。

 

 

 

私の周りには同業者がいなくて、相談相手といえばいつも、県外在住の親友です。

彼女はカードセラピストとして活動していますから、最も私に近いポジションにいる。

でも、「山梨県」という独特のマーケットで生きる私とは、だいぶ掛け離れているものもありました。

 

メンタルケアという仕事そのものも、広告宣伝が難しいものであり、悩みを抱えるクライアントさんと自分との「温度差」に、常に苦しんできたと思っています。

 

何より私自身が、「メンタルケアの仕事での口コミは期待できない」としていたこと。

だって、ほとんどの人は、自分が悩んでいることを人に話したがらないでしょ?

悩みそのものを人に言わないのに、悩んでカウンセリング受けたことは、もっと言わないはず。

なので私は、ひっそりとホームページを出すことしかしてきませんでした。

 

好きで始めたメンタルケアの仕事。

これはライフワークだから、ユルく活動するのが当然なのだと、稼げないのも当然なのだと、そう自分に言い訳をし、自分自身の欲求やホンネから逃げていたのかもしれません。

 

でも、そんな自分の中での「メンタルケアの仕事」という位置づけ、もっと言うと「価値」かもしれない、今回それを変えたのです。

 

 

 

私はここ数か月間、今までの自分の行動パターンを変えるよう意識してきました。

「今までと違う未来」が欲しくて。

 

すると、思わぬものが手に入った。

それが、「新しい仕事のやり方」に導いてくれたのです。

 

じゃあ、自分の行動をどう変えたのか?というと、

「自分一人で頑張る」から、「みんなに助けてもらう。協力してもらう」に変えました。

 

 

まず私がしたことは、信頼できる県内の友人に頼ったことでした。

するとそこから、導かれていくかのように次々とキーパーソンとの出会いがあり、活動できる場所を提供してもらえるなど、今まででは有り得なかった流れになっていきました。

そして、そこでお客様との出会いがある。

 

そうして私は、気づいたのです。

今の自分の状態が、とても心地良いことに。

 

頑なに他者を拒んでいた過去の私は、何だったのだろう?

なぜあんなに、孤独を求めていたのだろう?

「メンタルケアの仕事は口コミしてもらえない」なんて、単なる思い込みだったの?

と、今までの自分がしていたことが、バカらしく思えました。

 

 

『人を頼る』

これが、私が今までできなかったこと。

なぜならそこには、私にとって、大きな大きな「壁」があったから。

 

でも、行動を変えたことによって、その「壁」は見事に消滅。

あとは、信頼できる周囲の人たちに協力してもらいながら、「役に立ちたい自分」を使っていくだけです。

 

 

「行動を変える」ことには、「勇気」が必要でしょう。

今日こんな風に、自分のことをブログで公表するには少々抵抗があったのも事実ですが、「行動を変えた私」=「成功例」として、知ってほしかったのです。

 

人間、切羽詰まらないと、お尻に火がつかないと、なかなか動けない。

けど、それでもいいと思います。

お尻が丸焦げになる前に、何とか動けたら(笑)

 

 

パワーアップした新しいSyrupでのリスタートに向けて、現在、ホームページを作成中です。

メンタルケアサポートをベースに、今後は、「女性支援」に特化したサービスを積極的に提供していきます。

頑張ります!

頑張った分は積み重なってちゃんと実になる

ここ数日、集客用や打ち合わせ用のチラシを作ってます。

好きな作業なのでつい根を詰めてしまい、眼精疲労で辛い(笑)

 

作業しながら思ったのですが、今はこうして何事も無かったように普通に作れているけれど、最初のころは何をどうしていいのやら?と、かなり苦しんだな~って。

とにかく、軍資金ゼロで始めたメンタルケア業です。

何もかも自分で手作りしなきゃならず、本当に苦労しました。

 

一番大変だったのが、ホームページ作り。

だって、ホームページに関しては全くのド素人ですもん。

でも、「できなくて当たり前」のままでは、先に進めませんでした。

 

プロのweb屋さんが作るようなホームページは作れないけど、ド素人なりに、今の精一杯で作ればいい。

今できる最大限の努力をすればいい。

そう自分に言い聞かせ、励ましながら、一生懸命だったことを覚えています。

 

 

得意なことや慣れていることは、簡単にできますよね。

けど、だからと言ってそればかりをしていたら、いつまで経っても自分の殻を破れない。

時には少々、無理をして、無茶をして、自分を成長させなきゃならないのだと思います。

 

現に私は、この時からの努力が実をつけ、今は他人のホームページも作らせてもらえてます。

プロにお願いすれば何万円もかかるものを、自分で作れる。

チラシや名刺もそう。

「頑張った分」はいつしか確実に積み重なり、ちゃんと実をつける時が来るんだな、って、改めて思いました。

 

だから今は、頑張るしかないのです。

頑張るしかない時って、誰にでもあると思います。

諦めないで、自分を卑下しないで、ただただ頑張る。

その頑張りはきっと、後で自分に返ってくるんですもん。

自分のやり方で。自分らしく。

昨日、かなり考えさせられる出来事が起こりました。

ここ最近、自分の営業努力が足りてないことを反省し、頑張ってる人を見習って私も色々チャレンジし始めていたのです。

自営業って、自分自身で集客努力、販売努力していかなきゃ、でしょ?

頑張っても結果出るとは限らないけど、とりあえず頑張らなきゃって思うわけで。

 

頑張ってる人たちがこぞってSNSをしているので、じゃあ、私もひとつ頑張るか!って、意気込んではみた…

が。

とにかく自由人で協調性のない私には、SNSがうまく使えない。

mixiに始まり、Facebook、Twitter。

全く使えず、常に放り投げてきました。

 

でも、先日行った漢方薬局でLINE@を使っているのを見て、店長さんに聞いたところ、「お客さんから相談を受けやすいのでいいですよ」って。

知人のエステティシャンも使ってるし、やっぱりこういうのを使って集客しないとダメなのかな?と考えました。

 

それに、Instagram。

これは、プレミアムフライデーのイベントでお世話になっているRigelさんでも使っていて、アップされた新商品を見てお客さんが買いに来てくれるってこと。

 

で、色々と考え、大親友も使っている「Facebookページ」にすることにしました。

Facebookは8年ほど前にちょっと使ったし、何とかなるかな?と思いながら、せっせと作業したところ、ブログとのリンク、イベントの投稿までできるようになったんです。

嬉しくなってしまい、「見てほしい」と数名にURLを送ったのですが…

 

なんと。

いきなり、「顔認証」がなんとかかんとか、のメッセージが出て、どうやらアカウントが凍結されてしまったらしい。

え?嘘でしょ?

あんなに一生懸命に作ったのに、これって何よ?

 

どうしていいのかも分からず、とにかくネット検索してみると、同じトラブルが激増してるとかで、もう、ほんとショック。

何も悪いことしていないのに?って、今までのモチベーションは急降下。

アカウントが凍結されたまま、いつ復活するのか?そもそも復活するのか?さえ分からず、さて、どうしたものか?と考えてしまいました。

 

でもね、そこで、ちょっと思ったんです。

「これは違うってことじゃないかな?」

つまり、Facebookページは、私の集客ツールとして適切ではないってことじゃないか?ってこと。

 

「(集客ツールが)SNSじゃなきゃいけない理由って何よ?」

こう自問し始めた。

 

だって私、SNS使えないじゃない?

なのに、どうしてFacebookページなの?

私のお客さんって、FacebookページでGETできるの?

そういったことを考え始めると、やはりアカウントが凍結されたのは「必然」で、「軌道修正」を求められているんじゃないか?という答えが正しい気がするのです。

 

そこで私、Facebookページを諦めました。

それは私のやり方として正しくないって分かったので。

 

世の中には、集客ツールとして様々なものや、それに関する様々な価値観からの意見が飛び交っています。

でも、それらが全部自分にフィットするか?は、別問題ですよね。

お友達の着ている洋服が自分にも似合うとは限らない。

そして、隣の芝生は青く見える。

美容院でヘアスタイルブックを見て、「これと同じにしてください」とお願いしたのに、仕上がりを見て「あれ?おかしいなぁ、なんか違うんだけど…」って思ったことは一度や二度じゃない(笑)

 

人に合うものが、自分にも合うとは限らないんです。

なので、人がやってるから、人が勧めるからって、無理して自分もやらなくていいってこと。

 

私はこうして文章を書くことが好きだし、ホームページも自分で作っているので、イベント情報の発信などは自由にできます。

「いいね」は無くても大丈夫。

自分のやり方で、自分らしければそれでいいって、改めて思いました。