「人に嫌われる原因」??「人に嫌われない」ために生きていませんか?

昨夜ネットで、とある占いサイトを見ていました。

ちょっと有名な占い師のサイトでした。

占い大好きな私はついつい見てしまうのですが、昨夜は見たことを後悔する結果になってしまったのです。


そこに書かれていたのは、「あなたが嫌われる原因」でした。

こういう切り口で書かれていると、読まずにいられなくなります。

そこで、何も考えず、うっかり見てしまった……

するとそこには、日頃から自覚している「痛い現実」が書かれていて。


「あぁ、やっぱりね。だろうね。だから私は嫌われるんだ。嫌われているんだ」と、落ち込み始めました。

こうなるともう、「じゃあ、どうしたらいいのか?」を考えずにはいられません。

「それは大問題だ。だから、問題解決を考えなきゃ。さぁ、どうしたらいいんだ?」

占いサイトに書かれていた「嫌われる原因」を何とかしないと、私は人に嫌われ続けて、一生幸せになれないかもしれない。

そう、これはまさに、「私の短所」と言えるもの。

私は悩み始めてしまい、結局、昨夜はろくに眠れないまま、今日は仕事に行くはめに……



私は考えました。

……でも。

短所は長所なんだよ。

短所と長所は表裏一体で、別物じゃあないんだよ。

だから、短所を克服しようとすると、長所まで無くなっちゃう。

うーーーーん。


今日は仕事も手につかず、夕食を作る気力もなくて、コンビニ弁当を買ってくる始末。

あーあ。

どうしてこうなっちゃうわけ?

あんな占いサイト、見なきゃよかった……

だいたいさぁ、ああいう書き方されると、私みたいに自己評価が低くて自分を責める人は、絶対に心が折れるよね?

占いってさ、人を幸せにするもんじゃないの?

なのに、凹ませてモチベーション下げてどうすんのよ?

……と、だんだん腹が立ってきたのです。


そしてついに、「自分らしさを殺してまで人に好かれなくてもいいわ。嫌ってくれて結構よ。どうせ私は嫌われ者よ!」と、口から言葉が出ていました(笑)



私は思いました。

「生きる」って、「人に嫌われない」ことを目的にしてるんじゃないでしょ?って。

「生きる」って、自分らしくして自分なりの幸せを手に入れることでしょ?って。



「人に嫌われないこと」を目的にしている人は、きっとどこかで自分を殺し、無理して人と関わっているのでありませんか?

自分の短所を克服しようと頑張りすぎて、自分がしたいことさえ見失ってしまっていませんか?

他人を軸にして生きることが習慣化すると、そこには自分は存在しません。

人間関係で苦しんでカウンセリングを受けてくださるお客様のほとんどが、こういった傾向をお持ちです。


でもね。

これだけは言わせてください。

短所を封印しようとすると、長所も消えちゃいますよ。

そして、自分を否定することは、幸せから遠ざかることです。


この世には、いろんな人がいて、だからそこには「相性」というものがある。

だから、自分の個性を「短所」だと見る人とは関わらずに、「長所」だと見てくれる人と関わればいい。



「人に嫌われないこと」を生きる目的にするなんて、私は嫌い。

短所は長所。

2つは表裏一体。

短所を嫌って遠ざけたり克服しようとする前に、いつもとは違う方向から自分を見る。

楽に生きたいなら、「人に嫌われないこと」のために生きるのをやめましょうよ。

そもそも、「人に嫌われる原因」なんてものが存在しなかったのに。

悩むことなかった(笑)

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今年ももっと自分らしく。「自分らしさ」を許してストレスフリーな生活を!

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

正月とは言え、普段の生活とほとんど変わらない状態の私ですが。

母親のことを年末に片付けてしまったので、気持ち的にはとってもリラックスしています。

今年はマイペースを保ち、自分自身のための年にしたいものです。


昨日、ふと気づきました。

最近、動悸が無くなったなって。

去年の秋くらいから息苦しさを伴う動悸がひどかったのですが、今はすっかり大丈夫な状態。

人間関係のストレスで、よく眠れなかったせいだったのだと思います。

やはり睡眠は大事だなということが改めて分かったので、今年はしっかり眠れるよう、ストレス対策していきますよ~



同じ状態でいても、ストレスになる人とならない人がいます。

それは、その人の中にあるストレスセンサーの精度が高いから、ということも言えるのではないでしょうか?

例えば私は、匂いに敏感で、タバコの煙の臭いや、香水、芳香剤、アロマなどの香りで、片頭痛の発作を起こします。


ストレス耐性の低い人って、特定の物事に「過敏に反応してしまう」んですよね。

最近はそういう人を「人一倍敏感な人」= 「HSP」(ハイリー・センシティブ・パーソン)なんて心理学者が提唱したりしてますが。

だからといって病気っていうわけじゃなく、世の中には、平均よりちょっと敏感、平均よりちょっと鈍感、って人たちがいっぱいいるってことです。

なので、自分は人よりちょっと過敏に反応するタイプかも?と自覚があるなら、その自分を大切に扱うこと。


片頭痛を引き起こしてしまうほど匂いに敏感な私は、まず、喫煙所の近く、香水の強い人、芳香剤のきつい場所、などには近寄らないようにしています。

人間関係も同じことが言えますね。

ストレスを感じるような相手とは距離を置き、必要以上に関わらない、近づかないことが必要。

何にしろ、「選べるものは選ぶ」というスタイルでいることです。


自分で自分の身を守るための対策を講じることは、別に、人に迷惑を掛けることでも何でもない。

なのに、「他人からどう思われるか?」などを気にして、自分の身を守る対策を講じることができずにストレスを抱えてしまう人って多い気がします。



私は去年、様々な出来事の中で、様々なソウルメイト達と学び合って痛感したことは、

「自分らしさを許す」ことの必要性、重要性でした。

「自分らしさを許す」ということは、

「他人とは違う自分」に対し、

「それでもいいんだ。それもアリなんだ。OKなんだ」と、

「許可をする」ことです。


人にはできることができないなら、それが「自分らしさ」でしょうし、人にはできないことができるのも、「自分らしさ」でしょう。

匂いに敏感なのも、人の言葉で傷つきやすいのも、「自分らしさ」。

不器用で料理が下手なのも、体力なくてすぐに疲れるのも、他人のために頑張り過ぎてしまうのも、全部、「自分らしさ」。

その「自分らしさ」を許し、守っていくことが、ストレスを抱えないための一番の方法です。


生きにくさを感じている人は、この「自分らしさ」に許可できていないことが多い傾向です。

「自分らしさ」は、ひとつやふたつではありませんから、まずは許可しやすいことからひとつずつ、許可してみてはどうでしょう?



私も今年は、まだ許可していない「自分らしさ」を見つけ、許可をし、自分らしく生活する1年にしたい。

その過程を綴るこのブログを、今年も楽しく読んでいただけたら幸いです。

ひとつ終わり、ひとつ始まる。ひとつ手放し、ひとつ前に進む。

今年も今日で終わりですね。

1年間、お疲れ様でした、と、自分に言ってあげたいところです。

2018年の最終日の今朝、私は1年の集大成とも言えるコミットメントをしました。

ここ数か月の自分の身に起こったこと、それに対しての自分のレスポンスを考え、自分が手放さないとならないことがハッキリしたので。


私は幼少期に、親から、自分が望む形での愛情がもらえませんでした。

その影響で、大人になってから、親からもらえなかった愛情の代わりを周囲に求める傾向です。

でも、そういう生き方は正しくない、不毛な行為なのだと理解できるようになりました。

ですが、人として生まれ、生きて、人から愛されたい、好かれたい、認められたい、求められたい、という欲求が消えたわけではありません。

それゆえ、迷走しては消耗するといった繰り返しをしているのだと思います。


相手と時間を共有し、その中で相手を知り、それが分かり合えない関係だと分かった時、私は傷つきます。

どんなに慕っても自分が想うほど相手からは想われないのだと分かった時、生きている価値などないのではないか?とさえ考えたりします。

けれども、「個性」というものは全ての人に存在するもので、それによる「相性」の良し悪しもまた存在するのです。

例え親子であっても、価値観の合わない者同士は上手くいかない。


そして、悲しいのは、自分の価値観と違う相手を、否定し、批判し、疎外しようとすること。

人間関係のトラブルは、こんな感じの原因から始まる気がします。

「価値観の違いを、どうするか?」

これが人間関係の課題なのでしょうね。


私は今朝、今まで関わっていた相手としばらく距離を置く覚悟を決めました。

価値観の溝が埋められず、これ以上一緒にいると争って傷つけあう結果にもなりかねないと判断したからです。



今年も、様々な出会いがあり、様々な別れがありました。

「どうして私は、人のと関係や物事が長続きしないんだろう?」

以前はそう自問してばかりいましたが、その理由も今になれば分かります。

私にとって、出逢って関わる人は、みんな、その時の学びを共有するソウルメイト。

ですから、学びが終われば速やかに解散、といった流れになるのだと思うのです。


「現状維持は、実は下降」と教えてくれた人がいますが、その通りだと思う事が最近多くて。

「上昇」を求めて生きるためには、「変化」は必要不可欠なものではないでしょうか?

なので、2018年の最後の最後に、ひとつの執着を手放し、「現状維持」ではなく「一歩前へ進む」ことを決めたのでした。


ひとつ終われば、ひとつ始まるでしょう。

人間は、執着を手放すごとに前に進む。

手放したものが大きければ大きいほど、次に手に入るものは、手放したもの以上の大きさのものだと思います。


時間は流れています。

動いています。

ですから、その流れに逆らわず、自分も変化を受け入れて生きる。

辛いことも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、全部、その変化の流れの中にあります。

自分と向き合い、流れを止めている執着、心の枷となっている縛りに気づき、ひとつひとつ手放し、枷を外していく。

来年もこの作業を続けていくことを自分自身にコミットメントした、2018年の最終日。



とにかくとにかく、1年間、一生懸命に生きた自分に、「お疲れ様」を。

みなさまも、よいお年をお迎えくださいませ。

【生きるのが辛い貴女の心に届ける 心の「枷」を外す鍵】

ブログのタイトルを変えました。

「私にしかできないこと」「私だからできること」に、気づいたからです。

ここ最近のブログネタは、仕事やお金、人間関係のことばかり。

そして、そこには「怒り」や「不満」や「不安」が存在するだけでなく、「悪意」さえも伴うネガティブなものでした。

それらのネガティブなものを作っていたのが、自分が子供の時から使ってきた処世術にあることに改めて気づき、タイトル変更に至ったのです。



私は家族の中では「異質」な存在で、親たちから理解されず、認められず、受け入れられずに育ってきた人間です。

親たちにとっては、「扱いにくい子供」でしかなかったのでしょうね。

父親は私を暴力によって支配しようとし、母親は自分に起こる都合の悪いことを「厄病神」だとして私のせいにし続けてきました。

ですから、家には、私の居場所はありませんでした。

でも、親から愛されたい、寂しかった子供の私は、親の前で私なりの処世術を使うようになったのです。

それは、「自分を殺して相手に迎合すること」でした。

親に好かれるためには、「私」という存在を殺す必要があった。

「親にとって都合のいい子供」「親の期待に応えることができる子供」になれば、親から愛される子供になれると思っていたのです。


そしてその身についた処世術は、社会に出てもフル活用。

どこに行っても居場所がない。

誰からも理解されない、疎外される。

それは、社会に出ても変わらなかったからです。


ですが、家でも社会でも、処世術を使う裏で「殺された自分」が黙ってはいない。

「本当の自分を表現できない不満」は「怒りの炎」となって、自分でもコントロールできないほどの烈しさで周囲を焼き尽くす。

そして、焼野原となった事後を見て、私は、自分が失ったものの大きさに驚き、傷つき、自分を責める。

そんな繰り返しをしてきた人生でした。


しかし、うつ病を病んだことで、自分の人生と正面から向き合うことに……

その結果、「生きるのが辛くて苦しいのはなぜか?」が、ハッキリしたのです。

それは、「親に愛されたかった子供の私」が選んだ処世術のせい。

「自分を殺して相手に迎合する」という行為の副作用。


ですが、一度身に着けてしまった処世術は「習慣」となり、そう簡単には直すことができないことも、また現実なのです。

ですから私は、自らを実験体として扱い、この悪しき習慣を断ち切ることを目指しています。

そして、「自分を殺す」のではなく、「自分を大切にする」ことができる人間になる。

自分を殺さなくても、社会で生きていけるんだ。

そのままの自分、自然体の自分でも生きていけるんだ。

そう、身を持って気づける日が来るまで、この挑戦は続けます。



まだ完全体ではありませんが、今まで得てきた知識や知恵を、メンタルケアの仕事を通じ、また、こうしてブログを通じて、私と同じように「辛くて苦しい人生を生きている人」を応援するために使いたいと思います。

そして、少しでも先を歩けるよう、日々を出来事を、気づきと学びに変えていきたいと考えています。



生きるのが辛くて苦しい人たちは、心に「枷」をはめています。

自分で自分を縛り、自由を奪い、絶望を多く感じるでしょう。

でもそれは、あなたのせいではない。


私の経験が、私の知識が、私の言葉が、誰かの心の「枷」を外す『鍵』となれますよう、今後もブログを綴ります。

心の「枷」を外す鍵を手に入れて「自分らしい人生」へのスタートがサポートできることが、何よりの喜びです。

「ダメ人間な私」にもできること。~ブラック手相占いからの学び

ここのところ、災難続きでした。

現在公私ともに問題を抱えている私は、昨日、藁にもすがる思いで、とある手相占いに行ったのです。

それは県内では昔からわりと名前を聞く占い師でしたから、経験値が高くて結果を出してもらえそう、と判断して選んだわけですが。

結果は、とんでもないことに。

まず、私の手を見たのは最初の数十秒。

しかも何を言い出すかと思いきや、

「あなた、子供のころ、よそに預けられていたでしょ?だから、ガマンができないのよ」

「仕事が見つからないのも、あなたの性格のせい。仕事が長続きしないのも、あなたの性格のせい。かわいそうね。親がちゃんと躾けてくれなかったのね」

「就職できないのは、見た目の問題もあるの。自分で分かってるでしょ?」


確かに私は、短気でワガママで、ガマンができない性分です。

他人との協調性が薄いから、コミュ障的な言われ方をしても仕方ないと思います。

それに、太っています。

でもね、どうして、「仕事の相談」に行って、食生活やコレステロール値のことまで言われ、説教されなきゃいけないのでしょうか?

地方公務員だった我が家の母親は、私を産んだ当時、産休が3か月間しかなかったそうです。

なので私は市内の、私のような子供を預かってくれる、おばあさんの家に預けられていました。

けど、それは我が家の事情であり、「だからガマンができない子供になった」など、少し乱暴な決めつけでは?

それに私は、子供を他人に預けなければ仕事に行けなかった私の母親を、侮辱されたような気持ちにもなったのです。

「親がちゃんと躾けなかったから、今のあなたが出来上がった」

そういう意味合いの言葉を数々ぶつけられた私は、言いました。

「そうかもしれませんが、それを今更言ったところで、何の問題解決にもなりませんよね?私は今日、仕事の方向性を決めたくて相談に来ているのですが」

しかし、その占い師は、一言言えば数倍にして返す人でした。

上からな物言いでガンガン攻め立ててこられ、さすがの私もどんどん口が重くなり…

戦意喪失というか、終いには「はい。はい」とうつむいて返事だけになり……

目の前のテーブルクロスの端を爪でこすって……いる自分に、ハッとしたのです。


「え?私、今、何やってたの!?私、何しにここに来たの!?」


嘘のようなホントの話です。

手相占いに来て、手を見せずに、テーブルクロスの端をいじってるって、何!?

私の視界内には時計が無かったので、どのくらい時間が経ったのかも分かりませんでした。

でも、説教をやめないその占い師の言葉の途中、私はその言葉を遮り、「もう結構です。帰ります。おいくらですか?」と言って立ち上がった。

顔も見ませんでした。

見たくもありませんでした。

すると、椅子から立ち上がり財布からお金を出していた私に、占い師は「お金はいりませんよ」と言ったのです。

「は?」と一瞬思いましたが、「先生のお時間をいただいたので、お支払いします。ネットで見た金額しか支払えませんが」と言い、私は、占いサイトで見たその手相占いの料金を、テーブルに置きました。

その占い師は出口まで私を送ることもなく、退室する私に対して、ひとりごとのような嘆きを吐いていたのは聞こえましたけど。



その帰り道。

怒りはありませんでした。

ただ、悲しかった。


いいことは何も言われませんでした。

鑑定(説教)の途中、私は、自分が「生きていてはいけない人間」のように思えてきて、気持ちが重く沈み、心が麻痺していくような感覚を味わっていたのです。

「どうしてこんなことになっちゃったの?」と自問するけれど、問題解決を考えるいつもの私はどこにもいなくて。

その占い師、仕事のことを、こう言ったのです。

「好きなことややりたいことをしようとするから、仕事が見つからないのよ。あなたの年で、そんな仕事が見つかるわけないじゃないの。だから、仕事の探し方が間違えてるの。好きなことややりたいことじゃなくて、できることを探すのよ!」

でも私は分かっていました。

私と同じ年代で求職する女性は知っていると思いますが、「できること」でも、年齢や経験値を問われ、採用されないなんて普通のこと。

企業は、未経験でも若い人材を求めている。

50過ぎのオバサンを雇ってくれる会社は少ないのです。


とにかく、世間知らずというか、「理想論」だけの体育会系ノリで、「意欲の問題」だとか、「根性が足りない」だとか、散々の言われようでしたね。

(資格がないと雇ってもらえないと言ったところ、資格の問題じゃあない、やる気を見せないからいけないんだ、と言われましたよ・笑)

まぁ、いつものごとく傷ついて、いつものごとく友達にメールして慰めてもらったわけですが。



今日になって、ふと、思いました。

「私にも、できることがある」って。

あの占い師が言った「できることをしろ」の、「できること」が私にもあった。


それはこうして、自分の失敗を公表することです。


「自分のメンタルもコントロールできない心理カウンセラー」

「感情的で短気で協調性ゼロの変わり者」

ブログのコメントでバッシングされたことは、一度や二度じゃありません。


でもね、こんな私でも、一生懸命に生きています。

自分から逃げずに、自分と向き合い、同じ失敗を繰り返さないためにはどうしたらいいのか?と、必死で考えているのです。

確かに私は、メンタルケアの仕事をするにはドラスティックすぎる性質でしょう。

しかし私は、自分のところに相談に来てくれる女性たちに対し、あんな風に人格否定するような物言いは絶対にしません。

だって、悩んで辛い時の気持ちが人一倍分かるから。

自分を責めて自分を追い込み、絶望する時の苦しみを知っているから。

だから、こうして自分の失敗を正直に綴ることで、誰かが「失敗するのは自分だけじゃない」と思ってくれたら、それでいいんです。

理屈だけのキレイ事じゃあ、自分を救えない。

現実は厳しいんだ。

生きるって、大変なことなんだ。

私の「できること」は、お金を稼ぐには向いていないことだと思います。

それでも、あの占い師のような存在には、死んでもなりたくありません。

どんなにお金が儲かっても。

醜く太っててどこにも雇ってもらえなくても、親の躾のせいで性格が悪いと言われても。


子供のころから、人に理解されず、いつも理不尽さを抱えていた私です。

だから、「私は間違えて生まれてきてしまった」から「もともとこの世に存在してはいけない人間なのだ」と思う事で、精神の崩壊を食い止めていたのだと思います。

しかし、もう、そんなこともどうでもいい。

私は、好きなことしか仕事にしませんし、やりたいことしかできません。

したくない、向いていない仕事をしたところで、とうてい長続きはしませんよ。

こんな開き直りが、手相占いの収穫です(笑)

結果的には良かったんじゃないか?と思いますが、あきらかにパワー消費して疲弊してしまっていますから、美味しいもの食べてパワーチャージしなきゃ♪

それは問題か?問題じゃないのか?

昨日のことです。

買い物先で、偶然、中学の時の同級生に会いました。

そこで普通に世間話をしたのですが、私、その会話の中で「モヤッと」したことがあったのですよ。

 

昨日の朝も具合が悪かったりで、家で節電のこと(笑)ばかり考えてても腐るな~って思って外出しました。

ただ、化粧をしていくモチベーションはなく、スッピンのまま。

そこで同級生に会い、お互いの近況報告をしたのです。

 

私、きちんと化粧している彼女に対して、スッピンの自分で少々バツが悪かったのかもしれません。

それに、ブラウス1枚という薄着。

だからなのか、言い訳めいたことを言ってしまったんでしょうね。

 

「私、更年期でけっこう具合悪くてね。太ってるのもあるんだけど、やたら暑くて、こうして薄着しててみっともないよね?スッピンで買い物来ちゃうし」

と、口から出ていました。

すると彼女、「私だってそうだよ!」って。

 

その返事で私、「仲間意識」が芽生えてしまったのか、

「そう? 私、こうやって暑かったり寒かったりが激しくて、体温調整できてないって言うか、自律神経失調気味でね。今朝も具合悪くて」

と、また口から出ていました。

 

そしたら彼女、言ったのです。

「『私は更年期じゃない!私には更年期はない!』って思いなよっ!」

 

 

 

彼女は同級生の中でも、体育会系で元気がいいタイプ。

人の悪口は言わないし、明るくて付き合いやすい女性なので、人間関係が不得意な(笑)私でも、普通に関わっていた同級生です。

その彼女が、強め口調で発言したので、私は少々引きました。

 

まぁ、「家にいて腐るから、気分転換に外出するか…」程度のモチベーションでいた私ですから。

その声のトーンの強さに驚いたと言えば驚いた。

 

確か私、そこで、「そうだね」と言って返したと思います。

そしてすぐに別れました。

 

でも…

なんだかモヤッとした気分が残り、帰宅してからも考えてしまったのです。

 

…だって、更年期は更年期じゃん?

それをどうして、「更年期じゃない」って、「無かったこと」にしなきゃいけないの?

 

 

私の同級生は、私を励まそうとして言っただけでしょう。

彼女はそういう優しい人です。

 

ただね…

私は「(更年期症状で)困っている」とは一言も言ってないんだよね…

 

 

この件を通じ、その物事、問題を、「受け入れている」ことと「口に出さない」ことは、別物だと思いました。

私は、女性には更年期が来るもので、その症状には個人差があるって、知っているし、理解もしています。

更年期症状として、人前で顔から汗が噴き出すことは歓迎しませんが、それも仕方ないと諦めている。

そういうものだから、と。

 

だからそれを、黙っていれば良かったのかな?とも思いました。

それに、「私は更年期ではない」って、真実と違うことを自分に言い聞かせなきゃならないなんて、それも納得できないし。

 

つまり。

私はそういう問題解決の仕方はできないってことです。

自分に嘘はつけないって言うか。

何より私が彼女と違うのは、「更年期症状で辛い」と認めた上で、「じゃあ、どうするか?」の対策を講じる部分ですね。

 

 

 

メンタルケアの仕事を選んだことで、他人のメンタルに接する機会が増えて感じることは、自分の感情や意識を抑圧しなきゃならないために、その感情や意識を「無かったことにする」人が多いということです。

まさに昨日の、同級生の言葉。

『私は更年期じゃない!私には更年期はない!』…か。

 

でもね、これに関しては「正解」はなく、個々で解決すればいいことだと思うのです。

「問題は無かった」と自分に言い聞かすことで問題解決する人もいれば、私のように、「それは問題だ。じゃあ、どうする?」と、問題解決を探す人もいる。

 

 

ちなみに。

私の知人は、熱があって具合が悪い時に、体温を測らないんだとか。

なぜって、体温を測ってしまって「熱がある」という事実を知ってしまうと、「あ~、熱があるんだ」と、本当に具合が悪くなってしまうからだとか(笑)

それを聞き、「熱があるという事実を知っておきたい私」とは全く正反対なんだな~、面白いな~、と思いました。

 

 

問題解決も、自分のやり方でいいんですよ。

他人と同じようにしなくても、大丈夫。

「問題はない」と扱っても、「問題だ」と扱っても、それは自由です。

 

 

 

仕事を選ぶ時に必要なことは

今、どんな仕事をしていますか?

どんな働き方をしていますか?

 

 

先日、仕事についての相談を受けました。

その人は、「今の仕事が自分に向いていない、職場環境が自分に合っていない」と気づき始めて、モヤモヤしていたのです。

このまま前に進んでいいのか?と、悩んでいたわけです。

 

 

仕事をする上で大切なこと。

それは、ひとりひとり、みんな違います。

だって私たちはみんな、「能力」も「価値観」も違うのですから。

 

何を基準に仕事を選ぶか?

今、仕事についてモヤモヤしている人は、もう一度考えてみてもいいと思います。

 

自分にとって「絶対に必要なもの」を犠牲にしていないか?

「絶対に必要なもの」がちゃんと満たされているか?

 

 

仕事の相談をしてくださった方の「必要なもの」は、「(経済的な)安定」でした。

そして、マイペースを保てる「自分主導での動き」ができること。

なのに、今のその人の仕事は、その2つとも満たされてはいなかったのです。

これでは仕事がストレスになって当たり前、な状態でした。

 

 

人間には、「向き・不向き」があります。

「能力」や「価値観」同様、それはとても大切なこと。

それらは「個性」と呼ばれるもので、私はその「個性」をとても大切に思っています。

 

そして「仕事」とは、私たちが生きていく上で必要不可欠である、と言える人が多いはず。

ですから、「どんな仕事をするか?」「どういう働き方をするか?」は、とても大切な問題ですよね。