道はひとつではない?生きるためには状況対応&妥協もアリ

もうずいぶんと前の話ですが、当時の友達に言われたことがありました。

「環境に適応できるものが生き残るんだよ」って。



私は状況対応が苦手です。

心の柔軟性も低いので、問題解決のための創意工夫も不得意なのでしょう。

ワンパターン、うまくできても2パターン程度の持ち駒しかなく、それも「白か、黒か」ですから……


「その状況に応じて自分を変える」

これがわりと得意な人と、不得意な人がいます。

私は後者です。

でも、これも意識して自分を変える努力により、カバーできる部分も少なくないと思うのです。


例えば、料理。

「カレーには絶対に豚肉!」ってワンパターンを決め込んでいると、「あっ、豚肉を買い忘れた!」などのアクシデントにパニくってしまいがち。

けど、「肉は無くてもいいか~」「ハム有るからハム入れちゃうか~」など、柔軟に対応できたら、パニックにはなりにくいでしょう。

「カレーには絶対に豚肉!」というように、「道はこれしかない!」とする「決めつけ」があると、生きることが苦しくなりやすいです。

ですので時には柔軟に、いつもの自分のやり方を諦めたり、別のもので代用するなどの工夫をしたりして、いつもの自分と違う選択をすることをオススメいたします。

そういうのを「妥協」なんて言い方もしますよね。


もちろん、「こだわり」として「カレーには絶対に豚肉!」という方は、それはそれで全く問題ありませんが(笑)


私は今日、朝から部屋の模様替えをしていました。

なぜって、パソコン部屋が寒い!

でも、電気ストーブ代をケチりたい(笑)

しかし、夏は涼しくて、パソコン画面に光が映りこまない北側の部屋が、最も作業がしやすかったのです。

が。 結局、お金のために、「妥協」しました(笑)

暖かい南側の和室にパソコンを移動させることにし、そのためにいくつもの家具を移動。

冬の間は、ここでパソコン作業することにします。

部屋を移動しても使えるノートパソコンがあれば、何も問題無いのですがね~

電気ストーブ代さえもケチっているので、ノートパソコンなんて尚更買えません(笑)


「道はひとつしかない」という生き方には、当然、メリットとデメリットが存在します。

ですから、私の当時の友達の言葉のように、「生き残るため」には、その場に応じた柔軟な対応、自分を変える覚悟も必要です。

仕事や職場、コミュニティの中などでは、ある程度の「妥協」は仕方ないな、と。

自分の中の優先順位の低いものから手放していくと、いいと思います。

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「ここを辞めたら次が無い」から会社を辞められない?

先日、働いていた職場を辞めたいことを親友に話していて、親友にこう言われました。

「緋呂子さんは、『ここを辞めたら次が無い』って思ってるでしょ?だから辞められないんでしょ?」と。

図星でした。

これ以上の図星はないというくらいの図星でした。

ドキッとしたし、ハッとしました。


そうなんです。

私は10年ほど前にうつ病になったのですが、その時の思考が、まさにこれでした。

当時の私は40歳目前で、某派遣先にてCADオペをしていたのですが、「40歳を越えたら仕事(派遣先)がない」と勝手に考えていて。

職場のストレス源を何とかしようと自分なりに動いてもダメ。

結局は自分のエネルギーを「ガマン」という形で使う日々だったのです。

その時、毎日毎日、呪文のように繰り返していた言葉が、「ここを辞めたら次が無い」だったのでした。

でも実際は、うつ病になって派遣先を辞めてから、わずか2ヶ月ちょっとで、別の派遣会社から仕事の紹介が。

しかも、時給が100円以上も高かったし、結果的にCADのスキルアップもできた職場でした。


親友の言葉をきっかけに、当時のことを思い出した私。

……そうだ。

「ここを辞めたら次が無い」のではなく、

「ここを辞めるから次がある」んだ……

と、言葉を言い換えた……



複数の仕事を掛け持ちしている人はたくさんいます。

平日にメインの仕事をしながら週末にアルバイトに行ったり、私のようにライフワークとして収入を得られるものを持ったり、お金を稼ぐために仕事を掛け持ちすることは決して珍しくありません。

でも、メインの仕事だけで生きる人にとっては、現状働いてる職場を辞めてから次の職場に就職するわけで。

体はひとつしかありませんので、同時に2か所の会社に存在することは無理。

ひとつの会社で働くことを選ぶなら、その「ひとつ」を選ばないとならないのです。

私は、「ここを辞めたら次が無い」として他の会社を選ぶことができずにいた結果、うつ病になりました。

そして、その「意識」がいまだに続いていて、「問題」もいまだに解決されていないのだと痛感させられた……


なんだかんだ言っても、やはり、「引き寄せ」なんですよね。

被害者意識がある人は、加害者を引き寄せる。

先日辞めた職場の上司に「万全の状態でないなら来ないでください」と言われたのも、「お金のためには具合が悪くても会社を休めない」と日頃から思ってる私の意識が、引き寄せたものだと思っています。


親友には、さらにこう言われました。

「仕事とお金を天秤にかけちゃダメだよ」って。

この辺も、私には無い価値観でした。

「仕事を辞めるとお金が入らないから困る」と思うから、仕事を辞めることがでいない。

でも、「天秤にかける」のは、「仕事」と「お金」ではないと、彼女は何度も繰り返しました。

天秤にかけるのは、「仕事」と「自分の体(健康)」なんだと。



私と親友は、私がメンタルケアの仕事をする前に通っていた某セラピースクールで出逢いました。

そして、2人とも同時期にフリーランスとして活動を開始しました。

それからずっと、同業者としても関わり続けてきたのですが、彼女は活動直後から変わらず言っていることがあります。

それは、「お金は後からついてくる」です。

お金を目標にしてライスワークを選ぶ、働くという私とは、価値観が違う。

彼女は、何であっても「相手」との「相性」がとても大切であり、そこがネックになると知っている人。

「お金のための仕事(職場)はガマンと努力が当たり前」とする意識しかなかった私にとって、彼女の存在は特別なものなのです。

その彼女のおかげで、今回も私は、自分を縛っていた意識を手放すことができました。



「ここを辞めたら次が無い」

ではなく、

「ここを辞めるから次がある」

です。


「今」から「未来」を見て動くこと。

そこでのポジティブな意識が、次の「もっと良い」仕事や職場を引き寄せることでしょう。

自分を大切にするために、時には「言い訳」も「逃げる」もOKにしてみる

私はたびたび「まじめだね」と言われます。

自分では、私ほどだらしのない無責任な人間はいないと思っている反面、やはり、まじめなのだと自覚することは多いです。 

「人に迷惑をかけたくない」

私はいつも、思っています。

私の「理想」は「自立した人間」であり、精神的にも肉体的にも経済的にも、人に寄りかかることのない、依存することのない、強い人間です。


しかし現実はこれとはほど遠く、結婚もせずに親のすねをかじり続けて生きてきましたし、メンタルは軟弱、最弱。

以前、某施設で検査を受けた際の「ストレス耐性」が「0.4%」で、その場にいたスタッフ数名も驚いていた状態です。

ストレス耐性が低くてメンタルが軟弱なことは、即、健康に影響します。

すぐに自律神経をやられ、寝込むほどの体調不良に陥るわけですが。

こんな軟弱者の私でも、「人に迷惑をかけたくない」と思っている。

だから、軟弱者なりに、無理をするのです。


でもね。

思うのですよ。

「頑張れ、頑張れ」と自分にムチを打つことは、時に、自分を壊してしまうのだと。


人に迷惑をかけてはいけない。

人間は努力しなきゃいけない。

人とはうまく関わらなきゃいけない。

こうして、生きるための「試練」だと言わんばかりに、自分に厳しくする。

でもね……

これって果たして、常に正しいことなのでしょうか?


仕事は長続きしない、人とも上手く関われない私は、自分に「ダメ人間」のレッテルを貼って生きてきました。

だから、「今度こそ失敗しないように」と、失敗した時は自分を裁き、激しく自分を責める。

でもこれは、「自分を大切すること」とはちょっと違うのではないか?と、思うのです。

失敗をして、反省して、次にまた失敗をしないように自分を戒める。

これは必要なことでしょうし、正しいことなのだと思います。

けれど、こんなに自分を戒めてばかりじゃあ、苦しくないでしょうか?

だって、次は失敗しないようにと、常に自分を監視していないとなりません。

そこには「自由」ってものは無い気がします。

生きる目的が、「失敗しないこと」になっている気もします。


なので私は、思うのです。

時には、自分を守るために、責任逃れをしてもいいんじゃないかな?って。

「私、知らな~い」って言って、無責任に逃げてしまってもいいんじゃないか?

「私のせいじゃないも~ん」って、反省もせずに知らんぷりしてても、いいんじゃないか?


矛盾していますか?

そうですね。

矛盾していますね。

しかし人間は、「矛盾」を抱える生き物なんですよ。

この世は矛盾だらけです。


私たちは、「魂」と「肉体」の両方を持って生きています。

「魂」は成長したいもので、「肉体」には限界があるもの。

だから、日々の出来事による気づきや学びを必要とするのと同時に、有限である自分の体も守っていかないとなりません。

私は心のストレスが体を直撃します。

ですから、時には、「私、知らな~い。私のせいじゃないも~ん」と、「魂の成長」より「生身の肉体」を優先することも必要なのです。



人間には本来、「防衛機制」という、心のストレスを回避しようとする能力が備わっています。

ストレスで心や体が壊れてしまわないよう、言い訳したり逃げたりと、一見良くないと思われる考え方をするのです。

だから、それはそれでいいじゃないですか?

全ての人間に与えられた権利ですから。

確かに、自分と向き合い、問題解決を探す、行動して結果を出すことは、必要なことです。

ですが、自分自身あっての人生、健康あっての人生。

言い訳したり逃げたりする自分を「反省していない」「無責任だ」などと責めずに、そういう自分もアリだな、と、許してあげましょうか。