「悪いのはどちら?」自分のネガティブな感情エネルギーの方向性を変えてみる

あなたは、自分のネガティブな感情エネルギーを「自分」に向けることが多いですか?

それとも、「他者」に向けることが多いですか?



先日のことです。

仕事でちょっとした失敗があり、私はいつもの「落ち込みモード」へ入りかけてしまいました。

入ったばかりの職場で、慣れない仕事、慣れない人間関係。

なので、今までの自分のスキルが通用しないことは仕方ないでしょう。

でも、「だから私はダメなんだ」と、失敗した自分を責めるのが私の癖。

もうそうなると、あとはどんどんネガティブな方に考え始めてしまう。

「仕事を失敗した」→「仕事ができないと思われる」→「クビになる」

という「悪い方向」へ進む考え方に歯止めがかからず、「クビになったらどうしよう?」と、頭を抱えていたのでした。


冷静になって考えてみれば、元々は、取るに足らない些細な失敗です。

いや、失敗とも言えない、普通に「間違えた」程度のものでしょう。

なのに私は、「社員から指摘された」→「注意された」→「失敗」とする意識が働き、すっかり「落ち込みモード」に入りかけたのです。



私はこうして、「ちょっとした出来事」から「落ち込みモード」に入り、「自分を責める」ことが多い。

そして、その結果も自分に悪い方へ考えるため、気持ちが動揺し、体調も悪くなる傾向。


けれども今回、「ちょっと待て」と、「落ち込みモード」に入りかけた自分にストップをかけました。

……ちょっと待って。

これって、ホントに私が悪いのかな?

「できない」とか「覚えられない」とかって自分を責める前に、あの人(某社員)の教え方はどうなのよ?

と、自問し始めたのです。



メンタルカウンセリングをしていて、クライアントさんがうまく自分を表現できないことは多々あります。

それ、当たり前ですよ。

自分の悩み、心の中という、デリケートな部分で形のないものに関して、うまく喋れる人なんてわずかなんです。

それを初めて会う他人に打ち明けるのですもん、緊張だってするし、言葉だって選ぶでしょう。

なので私たちメンタルケアをする側は「質問屋」になり、クライアントさんが自分のことを喋れるようにリードする。

そういう、人に対する思いやりや、仕事に対するスキルって、必要だと思いました。



長く派遣社員で働いてきた私は、「受け入れる側にも問題がある」と考えています。

ですから、ちょっとした失敗を自分のせいにして落ち込んで自分を責めることを、今回はやめてみたのです。

自分の中にある、「私はダメ人間だ」という意識や、ネガティブな感情。

それらが、「自分自身」に向けて攻撃を開始する。

その結果、ひどく落ち込み、考え始め、夜は眠れない⇒自律神経失調症。

この方向を変えていかないと、私はいつまで経っても自律神経失調症のままだ、と思ったわけです。


そこでこの時は、自分に向ける攻撃を、他人に向けてみました。

「入ったばかりの派遣社員なのだから、何年もいる社員みたいに仕事ができるわけないでしょ?なのに、なんなの?その言い方は。だいたいね、教え方が悪いんだわ。もっとちゃんと教えてくれないから覚えられないのよ」って。

いつもいつも「悪いのは私」でしたが、この時は「悪いのはあの人」にしてみたのです。

すると、そこには「怒り」があることに気づきました。

……そっかぁ。

「自分を責める」って、「ちゃんとできない自分」に、自分が怒って攻撃するってことだよね。

そういうことかぁ。

私は今まで、自分に対して怒っていたんだ。


愚かでした。

自分で自分に腹を立てて怒ったところで、何か解決するでしょうか?

もちろん、他人に腹を立てて怒っても同じことでしょうけど、そこでちょっと違うのは、気持ちが他人に向くと、その気持ちに気づきやすいということ。

自分の内側に向く意識や気持ちは気づきにくいですが、自分の外側に向くものは、気づきやすいです。

そして、「あぁ、私は怒っているんだ」と気づくと、なぜか不思議と気持ちは収まってきます。


私も「私のせいじゃない」と人に責任転嫁したせいで、今までとは全く違う意識の方向性ができました。

「相手が悪い」→「(相手は)おバカさんだから仕方ない」って思えたら、怒りは消えました(笑)


私は何かにつけて、「自分が悪い」と自分自身を裁いて責める傾向です。

人のせいにすることは悪いことだ、と思っています。

でも、相手がある時って、「自分だけが悪い」というケースって、少ないような気がするのですよ。

ケンカって、売る側がいて買う側がいるから、ケンカになるわけでしょ?



常に相手を裁いて相手を責める傾向がある人は、ちょっとだけ自分を責めてみるのもいいと思います。

そうして、いつもの自分の思考パターンの逆をしてみると、意外な気づきがあるってこと。


大事なのは、「問題」の「解決」です。

解決のない問題をいつまでもグルグルクヨクヨと考えているよりも、ちゃっちゃと解決して先に進める問題へと変えてしまえばいい。

気持ちを切り替えるって、そういうことかもしれませんね。

広告

負けるな、私。負けるな、派遣社員。マウンティングや悪意に負けない精神力を。

私事ですが、今月からライスワークの派遣の仕事に行き始め、やっと半月経ちました。

ちょっとグッタリです(笑)

今日明日は近所のスーパーに行くくらいしか元気がないかな~って感じ。

環境も仕事も人間関係も、何もかも新しいので、けっこうしんどい。

で、何が一番しんどいか?って、そりゃやっぱり人間関係でしょ。

30代半ばから派遣社員という働き方しかしてこなかった私ですが、どこの職場に行っても感じることは、「マウンティングされる」ということ。

もちろん、本人たちはそんなつもりなど全く無いのだと思いますが。


入ったばかりの私を遠巻きに見ていた職場の人たちも、お互いの存在に慣れてきたこともあり、今週は少し踏み込んで関わるようになりました。

そうなると、その人の人間性がよく見えてきます。

正直言って、「仕事はできるかもしれないけど、人間的には最低レベルだな」と思うような人もいて。

そういう相手に接しては消耗してしまう自分を何とか立て直し、頑張って出勤していました。


思うのですが。

マウンティングしたい気持ちも分かります。

だって、派遣社員相手くらいにしか、威張れないでしょ?(笑)


劣等感がある人ほど、自分より弱いと思われる立場の人にマウンティングして優越感を感じたがる。

でもね、昨日もちょっと思ったのですが、そうやって上から威張って言ってくることが、その企業だけにしか通用しないローカルルールだってこともあるんです。

その職場で長く働いている人ほど、世間を知らないのかもしれない。

自分の言ってることが世間の常識かのように思い込み、外の世界から来た派遣社員などに偉そうに発言する。


私は、どこへ行っても「この程度のこと、知らないの?」というような扱いを多々受けますが、実際、じゃあ、そう言ってくるその人って他所で通用するのかな?と思ってしまいます。

狭い社内の中だけのルールだとも知らず、入ったばかりの派遣社員に偉そうに説明したり説教したりって、恥ずかしいですよ?



それに去年の派遣先では、こんなことがありました。

上司が、パソコンソフトの調子が悪くなったと言い出し、「緋呂子さんが入ってきてからこういう状態になるようになった」と私を責めたのです。

そう言われても私には全く身に覚えのないことでしたが、私のせいではないとも言えなかったので、黙っているしかありませんでした。

すると、その後数回同じようなトラブルがあり、その度に上司は私を責める発言をしたのですが。

でも、私だって悔しかったんですよ。

一方的に犯人呼ばわりされて。

なので、トラブルが起こった日時を調べていたんです。

そしたら、やっぱり。

その上司が使った後に限ってパソコンがトラブっていたことが分かったのです。

私はそこで自分の無実が分かったため、その件について発言するようなことはしませんでしたが。


昨日は、この件を思い出させるようなことがあったのです。

社員のある人に、自分が指示したこと、作業したことなどはすっかり忘れたのか、まるで私が無知で間違えたかのような言われ方をされました。

でも、どこへ行っても派遣先社員は、外から来た派遣社員にミスを押し付けて責任転嫁する傾向なので、私は反論もしなかった。


当然ながら、そういう人ばかりではないですけど。

今回の派遣先でも、何度同じことを聞いても嫌な顔せずに、親切丁寧に笑顔で教えてくれる社員はたくさんいます。


ですから私は、一部の残念な社員たちに振り回されずに、精神的に強くなろうと決めたのです。

自らに劣等感があり、他人にマウンティングすることで優越感を感じたい人、また、自分のミスを責任転嫁しようとする人など。

いずれにしろ、自分自身と向き合うことのできない、心が狭くてキャパが無い、気の毒な人たちであることは間違いないでしょう。


ただ、社員側にも言い分があり、派遣社員という働き方に偏見を持っている人もいます。

私自身も、「立場的に職場でモノが言えない分、辞めるしか権利がない」と思っていましたから、「派遣社員は辞める=無責任」だと思われるのも仕方ないかと。


でも、辞めずに解決できるよう、自分自身を変えるしかないと思いました。

立場は弱くても、自分自身が弱いわけではない。

なので、自分自身の「弱気な気持ち」を捨て、理不尽なマウンティングや悪意に負けないことです。

時に図々しく、強かに、精神的に強くならないと。

気持ちで負けていたら、何事も上手くいかない気がしますから。

心に縛りがあると「自分が喜ぶこと」にお金を使うことができません

あなたは、「自分が喜ぶこと」にお金が使えますか?

「自分が喜ぶこと」にお金を使うことに、罪悪感がありませんか?


日頃から自分に制限をすることが多い人は、「自分が喜ぶこと」に上手くお金が使えません。

例えば、素敵なレストランで食事したいと思っていても、「ダメダメ。外食なんてお金がもったいない」などと考えていると、「自分が喜ぶこと」から遠ざかってしまいます。


時に、「自分が喜ぶこと」は、ちょっぴり「贅沢」なことかもしれませんね。

特別な時だけの「ご褒美」的なものかもしれませんし。

しかし、「自分が喜ぶこと」を知っていながら、あれこれと理由をつけては「与えない」となると、それは明らかに「欲求不満」の領域に入っていく気がします。


「自分が喜ぶこと」は「ガマン」という「縛り」で遠ざける。

まぁ、「理想」と「現実」はいつだってギャップがあるものでしょうけど。



これは私のことですが。

去年の5月に、ライスワークである派遣の仕事を辞めてから、すっかり貧乏になっていました。

食べていくだけで精一杯な状況でしたので、生活の中の「必要なもの」しか買えなかった。

しかも、派遣で働いて収入があったころに買っていたものからレベルを落とし、金額的に安いものを選んで買っていました。

もちろん、ストレスの程度に応じて「自分にご褒美」は与えていたつもりですが、そのレベルも必要最低限で。


私は本来、浪費家です。

物欲が強く、買い物が大好き。

ですが、親の年金で細々と生活する日々は、そういった自分の欲求を殺す日々でした。

ですが今回、また派遣の仕事を紹介してもらって働くことができているので、一昨日、思い切ってバッグを買ったのです。

たぶん、バッグを新調するなんて、何年ぶりのこと。

新しいもの好きな私なのに、お財布ももう何年前に買ったのか思い出せないくらい使っていますし。

生活必需品ではないものは、買えませんでした。

でも本当は、バッグも財布も靴も化粧品も買うのが大好きで、ブランドものも大好き。

(バブル時代が懐かしい~・笑)


えぇ、ですから、買いました(笑)

ネットじゃなくて、百貨店で(笑)

しかも、2つ(笑)

1つは以前から欲しかったもので、もう1つは一目惚れで衝動買いですね。

それでも、数年ぶりにバッグを買ったからか、一目惚れを買えたからか、驚くほど気分が上がるのを感じました。

嬉しくて嬉しくて、帰宅して商品の包装を解き、見てはニヤニヤしていましたよ。


私も思います。

そうは言っても、お金が無きゃ、物も買えないって。

だから、毎月の収入が安定する仕事に就かなければ、いつまで経ってもバッグなんて買えなかったって。

でもね、いいじゃない。

バッグくらい買ったって。

自分のためにお金使ったって、いいじゃない。

生活必需品じゃなくても、いいじゃない。

なんだかそんな、開き直りに似た思いが私を支配していました。

去年は特に親のことにお金がかかり、自分のことは何から何まで後回しだった気がします。

でも今年は、自分のためにお金と時間を使いたい。

そんな気持ちを形にしたことが、バッグの購入となったわけですが。



「お金がもったいない」からと、欲しいものも買わず、「自分が喜ぶこと」にお金を使わないことも選択肢の一つではあると思います。

もともと倹約家だったり、お金を使うことに興味がない人もいるでしょう。

しかし、生活の経済的な事情と言った「現実的な縛り」でなく、「心の縛り」のせいで「自分が喜ぶこと」にお金が使えないとしたら?

それは自分がかわいそうだな、と思います。

と言うより私はいつも、「私って(親の)犠牲になるばかりで、かわいそうな人間だな」と思っていました。

そして、その不満は「怒り」となり「憎しみ」となって、そのネガティブな感情は親に向いていたと思っています。



「自分が喜ぶこと」「自分のモチベーションがあがること」に、お金を使いませんか?

バッグを買った私は、「よし!このバッグを持って出勤して、仕事頑張ろう!」と思えましたから。

今年に入ってから働き始めたので、まだお給料を1度もいただいていないんですよ(笑)

なのに買い物してしまった大胆さも、私の個性の中の側面ですから、まぁ、いいでしょう(笑)


自分ためにお金を使う、「自分が喜ぶこと」にお金を使うことは、必要な自己投資だと思います。

気分上げて生活するために、自己投資を惜しまないことをオススメしたいです。

「できません」と言ってあげないと相手は気づけません

あなたは、自分のキャパを越えている仕事を頼まれた時や、自分のすべき仕事ではないと判断した時などに、仕事をふってきた相手に「できません」と言えますか?



「言いたいことが言えない」傾向の人は、相手に「自分のことを分かってもらえない」と苦しむことが多いですよね。

そして、日頃「言えないこと」は、自分の中にネガティブな感情として蓄積していきます。

私もよくありますが、人に頼まれると「ちょっと無理してしまう」こと。

これは仕事でのことが多くて、派遣社員の私は「え?これって私の仕事かな?」と一瞬考えても、「はい。分かりました」と答えてしまう。

相手は私より若くても社員だし、仕事をもらう立場の私にとっては、「え?それって私の仕事ですか?」なんてこと、今までは絶対に言えませんでした。

でもね、こちらが「NO」を言わないと、「YES」だと思われてしまうのです。

そして、一度「できてしまう」と、相手は次からも普通に頼んでくるでしょう。

ですので、言いたくなくてもなんでも、「できません」と「NO」を言わなきゃならないでしょうね。



これは、とある知人から聞いた話ですが。

彼女は派遣社員として、とある企業で一般事務をしています。

ですが、手が足りない部署へ度々ヘルプで行かされることがあり、その度に、その部署の仕事も覚えないていかないとならないそうです。

そのせいで、彼女がカバーしなければならない仕事の範囲はどんどん広がっていきました。

ところが彼女の職場には、彼女をまるで自分だけの専属アシスタントとでも思っているような扱いをする男性社員がいて、彼女が自分の思い通りにならないと八つ当たりまでするとか。

でも彼女は、今年から新たな別部署の仕事もしなくてはならないことで、その男性社員の仕事だけを優先するわけにはいかなくなってしまったらしいのです。


なので彼女にアドバイスするとしたら、「そういう人には、できませんってハッキリ言ってあげてください」でしょう。


おそらく、そういう男性社員のような人は、相手のことなど考えないタイプだと思いますよ。

ですので、こちら側の都合を言葉で伝えてあげる必要があるってこと。


実は私も、相手の要求に応えられない自分のことを「ダメ人間」だと裁いて責める傾向が強いです。

その彼女も最近までは、「仕事ができないってことでクビにされたらどうしよう?」と不安に思っていたらしい。

けどね、企業側から次々に要求されることを、彼女は必死で頑張って応えてきたわけで。

なので彼女、「そうやって頑張ってる自分のことを認めてあげようと思い始めた」と話してくれました。

それを聞き、私も嬉しかったです。



ですが、彼女が職場で常に頑張っている、=無理をしていることには賛成しかねます。

そこで、相手のことも考えずに仕事をふってくる人には、ハッキリ断るようにしてほしい。

そういう人は、口で言われないと分からないですもん。


で、そこで「仕事ができない」と思われてクビになったとしても、そこの職場が合わなかったというだけのこと。

そんな、無理をしないと務まらないような職場は、しょせん長続きはしないでしょ。


誰だって、能力の限界のところで無理している自分を分かってもらえなければ、不満が生まれます。

その不満はどんどん溜まっていくものだし、イライラして愚痴も言いたくなりますよね。

仕事に行くことが嫌になってしまうかもしれません。

そうなる前に、自分のキャパを越えている仕事や能力に合わない仕事は、断ることです。

それも権利ですから。

断っていいのです。

「できません」と断ることに、罪悪感は必要ありませんよ~

「シャドウ」自分の中にある否定したい悪の存在

セルフセラピーカード No.23 「シャドウ」

心理学用語に「シャドウ」という言葉があります。

これは、「自分の中にある否定したい悪」という意味を持っていて、この「シャドウ」は「他人に投影される」ものです。


昨日私は、お友達と会ってお茶をしながら、お友達がすいぶん前に働いていた職場の同僚の悪口大会をしてきました(笑)

もちろん、それはお互いの「シャドウ」に対しての悪口になるわけです。

だいたい、人の気に入らないところって、「シャドウ」なんですよ~

「自分の態度の悪さを棚上げして、あの人って挨拶しないとか、言ってるんだよね~」

「勤続年数長いからって、上からな言い方するよね~」

「40歳過ぎて結婚したいとか言ってるけど、お料理全然できないじゃ~ん」

「自分に都合の悪いことは全部人のせいにするよね~」

「私ってデリケートだとか言っちゃって、個人のメアドに抗議メールもらったよね~」


なーんて、もうずいぶん前の職場の同僚のことなのに、大笑いしながら悪口言ってきたのですが。

これ、み~んな、私とお友達の「シャドウ」です。


「シャドウ」って、「自分が認めたくない悪い自分」。

でも、こうやって人の悪口言ってみると、その相手に「投影」されていることがよく分かります。


どうでしょうか? 悪口大会した私たちの中に、

「自分の態度の悪さを棚上げして、人を批判したい」

「勤続年数長いからと、上からものを言いたい」

「スキルが伴っていなくても、自分の欲求を叶えたい(料理ができなくても結婚したいと言いたい)」

「自分に都合の悪い子とは全部人のせいにしたい」

「相手の個人メアドに抗議メールを送りたい」

といった「悪意」があったことが、お分かりいただけるでしょうか?



「シャドウ」は、他人(投影)を使って、私たちにその姿を見せつけてきます。

それなのに私たちは、「そういう他人」だと思い込み、批判的に見ては、平気で悪口を言うわけです。

いやいや、違う違う。それはあなた、あなたなのよ~。

私たちは自分の姿を見せられているだけなのよ~。


「シャドウ」は、「いい人の仮面(ペルソナ)」とセットとして存在するもの。

「いい人」でいようとすると、周囲が「シャドウ」だらけになってしまいそう(笑)

ですので、ワタシ的には、適当に「シャドウ」を解放してあげることを、オススメします。

さて、自分の態度の悪さを棚上げして、人を批判するか~(笑)

あ、いつもしてるか~(笑)

今年ももっと自分らしく。「自分らしさ」を許してストレスフリーな生活を!

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

正月とは言え、普段の生活とほとんど変わらない状態の私ですが。

母親のことを年末に片付けてしまったので、気持ち的にはとってもリラックスしています。

今年はマイペースを保ち、自分自身のための年にしたいものです。


昨日、ふと気づきました。

最近、動悸が無くなったなって。

去年の秋くらいから息苦しさを伴う動悸がひどかったのですが、今はすっかり大丈夫な状態。

人間関係のストレスで、よく眠れなかったせいだったのだと思います。

やはり睡眠は大事だなということが改めて分かったので、今年はしっかり眠れるよう、ストレス対策していきますよ~



同じ状態でいても、ストレスになる人とならない人がいます。

それは、その人の中にあるストレスセンサーの精度が高いから、ということも言えるのではないでしょうか?

例えば私は、匂いに敏感で、タバコの煙の臭いや、香水、芳香剤、アロマなどの香りで、片頭痛の発作を起こします。


ストレス耐性の低い人って、特定の物事に「過敏に反応してしまう」んですよね。

最近はそういう人を「人一倍敏感な人」= 「HSP」(ハイリー・センシティブ・パーソン)なんて心理学者が提唱したりしてますが。

だからといって病気っていうわけじゃなく、世の中には、平均よりちょっと敏感、平均よりちょっと鈍感、って人たちがいっぱいいるってことです。

なので、自分は人よりちょっと過敏に反応するタイプかも?と自覚があるなら、その自分を大切に扱うこと。


片頭痛を引き起こしてしまうほど匂いに敏感な私は、まず、喫煙所の近く、香水の強い人、芳香剤のきつい場所、などには近寄らないようにしています。

人間関係も同じことが言えますね。

ストレスを感じるような相手とは距離を置き、必要以上に関わらない、近づかないことが必要。

何にしろ、「選べるものは選ぶ」というスタイルでいることです。


自分で自分の身を守るための対策を講じることは、別に、人に迷惑を掛けることでも何でもない。

なのに、「他人からどう思われるか?」などを気にして、自分の身を守る対策を講じることができずにストレスを抱えてしまう人って多い気がします。



私は去年、様々な出来事の中で、様々なソウルメイト達と学び合って痛感したことは、

「自分らしさを許す」ことの必要性、重要性でした。

「自分らしさを許す」ということは、

「他人とは違う自分」に対し、

「それでもいいんだ。それもアリなんだ。OKなんだ」と、

「許可をする」ことです。


人にはできることができないなら、それが「自分らしさ」でしょうし、人にはできないことができるのも、「自分らしさ」でしょう。

匂いに敏感なのも、人の言葉で傷つきやすいのも、「自分らしさ」。

不器用で料理が下手なのも、体力なくてすぐに疲れるのも、他人のために頑張り過ぎてしまうのも、全部、「自分らしさ」。

その「自分らしさ」を許し、守っていくことが、ストレスを抱えないための一番の方法です。


生きにくさを感じている人は、この「自分らしさ」に許可できていないことが多い傾向です。

「自分らしさ」は、ひとつやふたつではありませんから、まずは許可しやすいことからひとつずつ、許可してみてはどうでしょう?



私も今年は、まだ許可していない「自分らしさ」を見つけ、許可をし、自分らしく生活する1年にしたい。

その過程を綴るこのブログを、今年も楽しく読んでいただけたら幸いです。

私の中の愛すべき「怠け者ちゃん」

私事ですが、先週あたりから、自律神経がだいぶ落ち着いてきたことを感じています。

晩秋から冬に入り、気温が下がったことも理由かと思うのですが、やはり、数々抱えていたストレスが少しずつ減っていったことが、一番の理由でしょうね。


今朝、改めて思いました。

私は、「休む」ことが苦手だと。


「休む」の代表である「睡眠」の質が悪く、「眠れていない」ことが全ての体調不良の源のようです。

先週か、先々週か、夕飯を食べてすぐに寝てしまったことがありました。

そして、夜中2時くらいに起きて、また寝て、結局、翌日の昼すぎまで寝てしまったのですが、この後、体調がすこぶる良いことに気づいた私。



私は俗に言う「ロングスリーパー」です。

1日9時間以上は寝ます。

ところが、メンタルにダメージを受けると、眠れなくなってしまう。

その結果、自律神経系をやられて調子が悪くなる。


これは、そうなる原因が自分で分かっているので、常に自分の課題にもなっていることです。

原因は、「働かざる者食うべからず」とする、我が家の親たちの言葉の「呪縛」。

言葉を理解できるようになったころから、繰り返し繰り返し言われ続け、刷り込まれた、「親たちの価値観」でした。

それが私を縛り、苦しめている。



今朝もふと思ったのです。

「仕事していないからって、こんな時間まで寝てたらダメだよね」って。

一昨日の木曜日は地域の可燃ゴミ収集日でしたが、私は10時近くまで寝てしまい、ゴミ出しに間に合いませんでした。

その時の罪悪感ったら。

私ってどんだけダメ人間なのよ?と、玄関に置きっぱなしにしたゴミ袋を見て大反省。



「仕事に行っても行かなくても、朝は早く起きなきゃ!」

そう思うのです。

「でないと、体内時計が狂って昼夜逆転生活になっちゃうし、仕事に行き始めたら大変だもの」って。


「朝遅くまで寝ている」=「だらしない生活」といった意識が、「明日こそちゃんと起きなきゃ!」というプレッシャーになる。

が、翌朝は目覚まし時計を止めて二度寝してしまい、やっぱり9時くらいまで寝てしまうのでした。



今朝、そんなことを考えていたら、頭の中に、「黒い点」が見えたのです。

(実際に目で見たのではなく、イメージワークの中で、です)

その黒い点をズームしてよくよく見ると、柱のようなものの陰でこちらを見ながら涙目でブルブル震えている、全身真っ黒の二頭身の子でした(笑)

その黒い子が言うんですよ。

「怒らないで。怠けてるって、怒らないで」って。


……あ。

これだ。

この子が、今、私が救うべき「自分自身」なんだ。

そう直感しました。


この黒い子のお名前は、「怠け者ちゃん」です。

今朝も9時過ぎまで寝てしまったので、この子が「怒らないで」と懇願している。

……そうだった。

私は自分に、「働かざる者食うべからず」とする親の価値観で生きることを強いてきた。

だから、「怠け者ちゃん」が生まれた。


寝てばかりいる、休んでばかりいる、ダメな自分をイメージの中で形にしたものが、「怠け者ちゃん」なのです。

私は自分自身に、「休む」ことを許可していない。

「休む」ことは「怠ける」ことだと思っているから。


私たちにとって「睡眠」は必要なものであり、「休む」という行為も大切なものだと、頭では分かっているのです。

でも、頭では分かっていても、心で許していない。

理解はできていても、許可はできていない。



「何もしない日」「ただ寝るだけの日」「好きなことをして過ごす日」など、自分自身を労って癒す日を、意識して作らないとダメな人って、いますよね?

私もその一人ですが(苦笑)

それもおかしな話だと思います。

そう決めないと自分に許可できないなんて。


私にとって睡眠は、必要だから、その時間まで寝てしまうのだと思うのです。

ストレスによって常に興奮している脳を休めるためには、長く眠らないとダメなんだってことかな?と。


だから、私の中の「怠け者ちゃん」が、柱の陰でブルブル震えながら涙目で「怒らないで」と懇願しないで済むようにしたいな、と思った今朝。

しっかり動く、しっかり働くためには、しっかり寝て、しっかり休むことが大事ですもんね。