「できる範囲でいい」「無理しない」ちゃんと繋がってる人がいるから

「自分を許す」とは、口で言うほど簡単ではないですね。

「許せない自分」が、常に見張っていますから。


以前の私は、毎日ブログを更新していました。

そのせいもあってか、アクセス数も自分的にはそこそこだったと思います。

ですが今は、一週間に一度更新できればいい方で、パソコンを開けない週末もあるくらいです。

会社での仕事も、以前は、依頼されたことを早く片付けてしまわないといけないとする焦りがひどく、常に追い立てられている感がありました。

それも今はほとんど消え、マイペースで居られるようになりました。



では、なぜ、ブログを毎日更新しようとしたのか?

なぜ、依頼された仕事を早く片付けようとしたのか?

私の場合は、「見捨てられ不安」が原因でした。

「相手の期待に応えないと見捨てられる」とする、幼少期に育ってしまった不安が、大人になった今もある。

それは「親の言う通りになる、いい子」でないとならなかった、悲しい子供の末路ですね。

でも最近、ホントに思うのです。

自分に軸があっていいんだ、と。

相手に軸を置くと、無理をしたりガマンをしたりして、ストレスになる。

だから、「マイペース」という自分のペースで動けばいい。


ブログの更新が毎日じゃなくても、罰金は取られません。

仕事もそう。

期限内に間に合わないなら間に合わないと伝えて、じゃあどうするか?をその時に考えてもらえばいい。

会社での私の立場は派遣社員ですし、1月に入ってようやく5ヶ月経った、まだなだ慣れない新人です。

先日、気づいたのですが、「急ぎの仕事」は、私のところには回ってこない、と。

客先に提出するような大事なデータは、ちゃんとベテラン社員が対応する。

派遣社員だから、ではなく、今の私にはできない仕事だと思いました。



このことがあって私は、とても気持ちが楽になったのです。

そっかぁ、私、期待されてないんだぁ~

「期待される」ことは嬉しいことでもありますが、私のような性分の人間には、不必要な「プレッシャー」になってしまいがち。

なのでブログも、書ける時に書くようにし、ネタがなかったり時間がなかったりする時にもプレッシャーに感じないようにしています。



大丈夫。

期待に応えなくても、見捨てられません。

そして、相手が自分の期待に応えないからと見捨てるような人間とは、関わらなくていいってことです。

無理して作った関係性なんて、続きませんから。


今の私は、週末しか更新しないブログでも読んでくれている人たちのために、こうして、自分の時間を使う。

それでいいと思います。

ちゃんと、繋がってる人たちはいますよね。

ありがたい、ありがたい。

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「今は逃げてもいい」自分に許可をする勇気を持って

これは、とある知人の話です。

派遣社員として働く彼女は、某企業での事務募集の話があり、面接に行ったそうです。

が、実際に面接に行ってみると、派遣会社の営業マンから聞かされていた話とだいぶ違う。

そこで彼女は、説明を受けた業務内容などについても、なんとなく不信感や不安を感じたそうです。

ですが、すでに無職無収入になっていた彼女にとって、今までになく高い時給や、家から近いなどの条件面は大きなメリットでした。

そこで、不信感や不安を抱えたまま、働き始めることになったのですが……

その不信感や不安は、見事に的中。

仕事内容は「事務」という話だったのに、実際にした仕事は、自社製品の目視検品だったのです。

しかも、それなりの理由あってのことでしょうが、飲み物も自由に摂れない、昼休憩はあるものの、それ以外の休憩は3時に10分間のみ、と、今まで経験したことのない厳しさだったとのこと。

近視のためコンタクトレンズ使用の彼女にとって、目視検品は辛く、初日から痛みを感じるほど目を酷使することに。

泣きたい気持ちを抱えながら、彼女は思っていたそうです。

「いつになったら、事務仕事をさせてもらえるのだろう?」と。

が、そんな日は永遠に来ないことを、数日後になって知らされることになったのでした。

結局、その彼女がその派遣先で働いたのは、一週間にも満たない、ほんの数日。

でも、彼女、言っていました。

「面接の時に、あれ?何かおかしいな、と思ったのに、断ることができなかった」と。

事務だけでなく、自分が習得している専門性を活かして働けると聞かされていたらしいのですが、実際彼女が行った仕事は、何の知識もスキルも必要としない検品作業。

作業現場に入るまでに断るチャンスはいくらでもあったはずなのに、彼女が手放せなかったものは、「お金(賃金)」への執着だったと言います。


これはあくまでも私個人の意見ですが、この派遣先がブラック企業っぽかったとか、派遣会社がポンコツだったとか、そういうことではなく、これは彼女への教材として与えられたものだと思うのです。

直前の記事にも書きましたが、相手を変えることはできません。

自分が変わるしかないのです。

ここで彼女に必要だったのは、「かけがえのない自分という世界で最も大切なもの」に気づく、ということではないでしょうか?

もちろん、退社を決意した彼女は、「お金より大切なものに気づいた」と話してくれましたよ。



私もそうですが、お金のために働くのではない、と分かっているつもりでも、現実として、生きていくにはお金が必要です。

ですので、時には、自分自身や家族を犠牲にしても、お金(仕事、会社)を優先することもありますよね。

でも、ここぞ、という時に、「逃げる勇気」「撤収する勇気」って、必要でしょ?

そこで逃げ遅れると大変なことになってしまう、って、多々ある。


私は去年働いていた派遣先で「お金」と引き換えにしたものは、1年以上経った今もなお治らない耳鳴りです。

毎日、朝から晩まで、耳鳴りがしています。

こんなことになるなら、ちょっと体調が悪くなった時に辞めておけばよかった…と思いますが。

もう、今更どうにもならないこと。

こうなってみてはじめて、健康、普通に生活できる普通の体、と引き換えにできるものって何もないって、ようやく私にもわかりました。


もし今、体調を崩すほどのストレスを抱えているなら、「逃げてもいいんだよ」と自分に許可をしてほしい。

今は逃げよう。

でもまた、体制を整え、出直せばいい。

健康を失ってからでは、その「出直し」も難しくなりますから。

「楽に生きる」ために必要なたった一つのことは

楽に生きたかったら、他人を気にしないことです。

他人を軸にしない。

他人の評価を求めない。

それができたら、本当に楽に生きることができると思うのです。



今日は仕事がスムーズに行かず、少々凹みながら帰宅しました。

寝不足続きで朝からあくびが止まらなかったし、何となくダルくて、いつもの調子が出なかったことが原因でしょうね。

そんな今日は、久しぶりに息苦しさを感じたのですが。

やはり、ちょっとストレスを感じると息苦しくなるようです。

「あ、まただ。も~、どうして私はこうなっちゃうの?」

と、自問してみました。

今日の私の仕事は、出張で出かけた上司が、私のデスクの上に置いて行ったもの。

量的に、おそらく数時間で終わるでしょう、と考えていました。

ところが、集中力が無いというか、同じ個所を何度も間違えたりして、一向に先に進まない。

加えて、作業したデータが保存できないなど、いつもは考えられないようなトラブル続き。


…は~。

どうしちゃったのよ、私??

「困った」と思えば思うほど息苦しくなるし、耳鳴りもひどくなってくる。

そこで、再確認したのです。

『今日出張で出かけている上司に「サボっていた」と思われたくない自分』がいることに。


自分が出かけていたからサボっていた、と思われたらどうしよう?

人が見ていないとサボる奴なんだ、と思われたら困る。

気づいたら私は、「言い訳」で頭がいっぱいになっていました。

…今日は体調が悪かったと言おう。

…いや、そもそもデータを提出しないでおこうか?

など、どうやって言い訳しようか?ばかり考えていたのです。


今の私の職場で働くのは、雑談をする余裕もなく働く人たちです。

私も仕事以外のことは話しません。

大声で笑ったり雑談なんてとんでもない、って感じの雰囲気なんですよね。

なので、サボりたくてもサボれないのが現実。

なのに、毎日こなす業務量の半分もいかなかった今日は、「サボっていたと思われるに違いない」と怖くなってしまったのです。




改めて思いました。

私、まだまだ他人を軸にして生きてるな、と。

「人にどう思われるか?」を気にしている限り、ストレスからは解放されません。

自分には自分の事情があり、時には、今日の私のように調子が出ないこともある。

その度にいちいち人の目を気にしていたら、疲れちゃいますね。



楽に生きたいと思うなら、マイペースで生きることを自分に許すしかないのでは?

できないものはできない、失敗することもある、と、開き直るしかなさそうですよ。

「他人の目」が自分を窮屈にするものなら、それを気にしない、という結論です。

「更年期」「太ってる」陰で笑われるのが怖くて汗が拭けなかった私

親しい人との会話の中で、「普通、○○だよね~」と言うことがあります。

ですが、その「普通」って何よ?と、思わず自問してしまう。

「普通」とは、おそらく「一般的に」という意味で使ってるのでしょうけど。




私は子供のころから人とはちょっとズレていたらしいので、この「普通」の枠からだいぶはみ出して生きてきたと思います。

それは、物事への意識や視点、思考や行動などですが、ここ最近は、体型や健康面での「人と違う」ことが問題になってきています。

「HSP(ハイリーセンシティブパーソン)」と言えるほどではないのでしょうけど、色んな事に「敏感」であることは間違いありません。

環境面や対人面でのストレスが自律神経を直撃し、すぐに体調不良になります。

そして、かなり太っていますから、標準体型の人には分からない問題も抱えがち。

そういうの今まで「恥」みたいに扱っていて、自分の「一般的じゃない部分」に対し、憎しみさえ抱いていました。

でもそれは、「人と違うことはいけないことだ」とした我が家の親たちの考えが原因でしょうけど。


我が家の親たちは、「普通」が好きな人たちでした。

ですので、良くも悪くも人より目立つことを嫌い、自分たちも、子供たちも、「普通」「一般的」「平均的」な枠の中で生きることを良しとしていたと思います。

しかし残念ながら、何かにつけて「普通じゃない」私ですから、親たちから嫌われたのは仕方ないでしょうね。



実は私、職場で困った状態が続いていたんです。

椅子の高さやパソコンモニターの高さが合わず、毎日腰痛や首痛で苦しんでいました。

私の職場は大部屋ですし、使っている椅子のメーカーも様々のようですから、探せば私に合う椅子が見つかるかもしれません。

なのに私は、今使っている椅子の高さやパソコンモニターの高さが合わないことを誰にも言えず、首や腰の痛みを自力で何とかしようとだけ、していたのです。

だって、「椅子の高さが合わないから違う椅子と交換してほしい」なんて言えない。

一般的な高さで作られているオフィスチェアだもの、そんなこと言ったら「私は太っているのでお尻の厚みの分、座高が高くなるんです」ってバレてしまう。


でも結局は腰痛首痛に耐えられなくなり、先日、違う椅子を探すことに。

椅子はすぐにちょうどいい高さのものを見つけ、快適になりました。

パソコンモニターの高さに関しては、隣の席の男性社員に話をしたところ、その会話を聞いていたのか、遠くの席の男性社員がパソコンモニターの下に敷くようにとお菓子の箱を持ってきてくれたのです。

これは嬉しかった。

「僕も座高高いので」と笑って言ってくれました。

あいにく、そのお菓子の箱は高さが合わずにお借りすることができませんでしたが、その男性社員の優しさを知ることができましたし、私と同じようにパソコンモニターの下にカタログなどを入れて高さ調整している人がいるという事実は、安心感を作ってくれますよね。



痛みで辛い、精神的に苦しいなど、自分の体や気持ちの事情やは、自分だけのものです。

他人はそんな自分のことなど分かるはずがない。

なので、他人に遠慮することなく、自分で自分の身を守る強さが必要だと思います。

最終的に自分に責任を負うのは、自分自身です。

最後まであてになるのは、自分自身だけ。


こんなことを書いている私ですが、「人にどう思われるか?」と他人の評価を気にしてばかりいて、「普通ではない、一般的ではない、平均的ではない自分」を隠そうとして生きてきました。

更年期症状や太っているせいで汗がダラダラ出ても、周囲の目が怖くて汗が拭けない。

「あの人、更年期だよね」「あの人、太ってるからだよね」と陰で笑われるのを想像してしまい、汗を拭くことができませんでした。

しかし、「困っているのは自分」であり、他人は私の「困っている」を何とかしてくれるわけじゃない。

だから今は、例え陰で笑われても、自分の事情を優先すべきだと思うようになりました。

「つーか、アタシが汗拭いたことで、アンタ達に何か迷惑かけた!?」くらいな気持ちで(笑)



「普通」「一般的」「平均的」の枠の中で生きることは、「安心」なのかもしれません。

「普通じゃない」ことが多い私は、少なくともそう思ってしまいます。

「人と違う」「ちょっと変わってる」って、正直、生きにくい。

でも、それが私なのだから仕方ない、と、受け入れていくしかないと思うのです。


本来ならば、「人と違う」=「個性」として扱われ、尊重されこそしても笑われるものではないはず。

ですが世の中には、それを「悪」だと見たり、笑ってバカにする人もいる。

だから、そういう人は相手にしない。

それこそ、「自分は自分」でいいと思います。

人と違う自分を許して、強くなりましょ。

「悪いのはどちら?」自分のネガティブな感情エネルギーの方向性を変えてみる

あなたは、自分のネガティブな感情エネルギーを「自分」に向けることが多いですか?

それとも、「他者」に向けることが多いですか?



先日のことです。

仕事でちょっとした失敗があり、私はいつもの「落ち込みモード」へ入りかけてしまいました。

入ったばかりの職場で、慣れない仕事、慣れない人間関係。

なので、今までの自分のスキルが通用しないことは仕方ないでしょう。

でも、「だから私はダメなんだ」と、失敗した自分を責めるのが私の癖。

もうそうなると、あとはどんどんネガティブな方に考え始めてしまう。

「仕事を失敗した」→「仕事ができないと思われる」→「クビになる」

という「悪い方向」へ進む考え方に歯止めがかからず、「クビになったらどうしよう?」と、頭を抱えていたのでした。


冷静になって考えてみれば、元々は、取るに足らない些細な失敗です。

いや、失敗とも言えない、普通に「間違えた」程度のものでしょう。

なのに私は、「社員から指摘された」→「注意された」→「失敗」とする意識が働き、すっかり「落ち込みモード」に入りかけたのです。



私はこうして、「ちょっとした出来事」から「落ち込みモード」に入り、「自分を責める」ことが多い。

そして、その結果も自分に悪い方へ考えるため、気持ちが動揺し、体調も悪くなる傾向。


けれども今回、「ちょっと待て」と、「落ち込みモード」に入りかけた自分にストップをかけました。

……ちょっと待って。

これって、ホントに私が悪いのかな?

「できない」とか「覚えられない」とかって自分を責める前に、あの人(某社員)の教え方はどうなのよ?

と、自問し始めたのです。



メンタルカウンセリングをしていて、クライアントさんがうまく自分を表現できないことは多々あります。

それ、当たり前ですよ。

自分の悩み、心の中という、デリケートな部分で形のないものに関して、うまく喋れる人なんてわずかなんです。

それを初めて会う他人に打ち明けるのですもん、緊張だってするし、言葉だって選ぶでしょう。

なので私たちメンタルケアをする側は「質問屋」になり、クライアントさんが自分のことを喋れるようにリードする。

そういう、人に対する思いやりや、仕事に対するスキルって、必要だと思いました。



長く派遣社員で働いてきた私は、「受け入れる側にも問題がある」と考えています。

ですから、ちょっとした失敗を自分のせいにして落ち込んで自分を責めることを、今回はやめてみたのです。

自分の中にある、「私はダメ人間だ」という意識や、ネガティブな感情。

それらが、「自分自身」に向けて攻撃を開始する。

その結果、ひどく落ち込み、考え始め、夜は眠れない⇒自律神経失調症。

この方向を変えていかないと、私はいつまで経っても自律神経失調症のままだ、と思ったわけです。


そこでこの時は、自分に向ける攻撃を、他人に向けてみました。

「入ったばかりの派遣社員なのだから、何年もいる社員みたいに仕事ができるわけないでしょ?なのに、なんなの?その言い方は。だいたいね、教え方が悪いんだわ。もっとちゃんと教えてくれないから覚えられないのよ」って。

いつもいつも「悪いのは私」でしたが、この時は「悪いのはあの人」にしてみたのです。

すると、そこには「怒り」があることに気づきました。

……そっかぁ。

「自分を責める」って、「ちゃんとできない自分」に、自分が怒って攻撃するってことだよね。

そういうことかぁ。

私は今まで、自分に対して怒っていたんだ。


愚かでした。

自分で自分に腹を立てて怒ったところで、何か解決するでしょうか?

もちろん、他人に腹を立てて怒っても同じことでしょうけど、そこでちょっと違うのは、気持ちが他人に向くと、その気持ちに気づきやすいということ。

自分の内側に向く意識や気持ちは気づきにくいですが、自分の外側に向くものは、気づきやすいです。

そして、「あぁ、私は怒っているんだ」と気づくと、なぜか不思議と気持ちは収まってきます。


私も「私のせいじゃない」と人に責任転嫁したせいで、今までとは全く違う意識の方向性ができました。

「相手が悪い」→「(相手は)おバカさんだから仕方ない」って思えたら、怒りは消えました(笑)


私は何かにつけて、「自分が悪い」と自分自身を裁いて責める傾向です。

人のせいにすることは悪いことだ、と思っています。

でも、相手がある時って、「自分だけが悪い」というケースって、少ないような気がするのですよ。

ケンカって、売る側がいて買う側がいるから、ケンカになるわけでしょ?



常に相手を裁いて相手を責める傾向がある人は、ちょっとだけ自分を責めてみるのもいいと思います。

そうして、いつもの自分の思考パターンの逆をしてみると、意外な気づきがあるってこと。


大事なのは、「問題」の「解決」です。

解決のない問題をいつまでもグルグルクヨクヨと考えているよりも、ちゃっちゃと解決して先に進める問題へと変えてしまえばいい。

気持ちを切り替えるって、そういうことかもしれませんね。

負けるな、私。負けるな、派遣社員。マウンティングや悪意に負けない精神力を。

私事ですが、今月からライスワークの派遣の仕事に行き始め、やっと半月経ちました。

ちょっとグッタリです(笑)

今日明日は近所のスーパーに行くくらいしか元気がないかな~って感じ。

環境も仕事も人間関係も、何もかも新しいので、けっこうしんどい。

で、何が一番しんどいか?って、そりゃやっぱり人間関係でしょ。

30代半ばから派遣社員という働き方しかしてこなかった私ですが、どこの職場に行っても感じることは、「マウンティングされる」ということ。

もちろん、本人たちはそんなつもりなど全く無いのだと思いますが。


入ったばかりの私を遠巻きに見ていた職場の人たちも、お互いの存在に慣れてきたこともあり、今週は少し踏み込んで関わるようになりました。

そうなると、その人の人間性がよく見えてきます。

正直言って、「仕事はできるかもしれないけど、人間的には最低レベルだな」と思うような人もいて。

そういう相手に接しては消耗してしまう自分を何とか立て直し、頑張って出勤していました。


思うのですが。

マウンティングしたい気持ちも分かります。

だって、派遣社員相手くらいにしか、威張れないでしょ?(笑)


劣等感がある人ほど、自分より弱いと思われる立場の人にマウンティングして優越感を感じたがる。

でもね、昨日もちょっと思ったのですが、そうやって上から威張って言ってくることが、その企業だけにしか通用しないローカルルールだってこともあるんです。

その職場で長く働いている人ほど、世間を知らないのかもしれない。

自分の言ってることが世間の常識かのように思い込み、外の世界から来た派遣社員などに偉そうに発言する。


私は、どこへ行っても「この程度のこと、知らないの?」というような扱いを多々受けますが、実際、じゃあ、そう言ってくるその人って他所で通用するのかな?と思ってしまいます。

狭い社内の中だけのルールだとも知らず、入ったばかりの派遣社員に偉そうに説明したり説教したりって、恥ずかしいですよ?



それに去年の派遣先では、こんなことがありました。

上司が、パソコンソフトの調子が悪くなったと言い出し、「緋呂子さんが入ってきてからこういう状態になるようになった」と私を責めたのです。

そう言われても私には全く身に覚えのないことでしたが、私のせいではないとも言えなかったので、黙っているしかありませんでした。

すると、その後数回同じようなトラブルがあり、その度に上司は私を責める発言をしたのですが。

でも、私だって悔しかったんですよ。

一方的に犯人呼ばわりされて。

なので、トラブルが起こった日時を調べていたんです。

そしたら、やっぱり。

その上司が使った後に限ってパソコンがトラブっていたことが分かったのです。

私はそこで自分の無実が分かったため、その件について発言するようなことはしませんでしたが。


昨日は、この件を思い出させるようなことがあったのです。

社員のある人に、自分が指示したこと、作業したことなどはすっかり忘れたのか、まるで私が無知で間違えたかのような言われ方をされました。

でも、どこへ行っても派遣先社員は、外から来た派遣社員にミスを押し付けて責任転嫁する傾向なので、私は反論もしなかった。


当然ながら、そういう人ばかりではないですけど。

今回の派遣先でも、何度同じことを聞いても嫌な顔せずに、親切丁寧に笑顔で教えてくれる社員はたくさんいます。


ですから私は、一部の残念な社員たちに振り回されずに、精神的に強くなろうと決めたのです。

自らに劣等感があり、他人にマウンティングすることで優越感を感じたい人、また、自分のミスを責任転嫁しようとする人など。

いずれにしろ、自分自身と向き合うことのできない、心が狭くてキャパが無い、気の毒な人たちであることは間違いないでしょう。


ただ、社員側にも言い分があり、派遣社員という働き方に偏見を持っている人もいます。

私自身も、「立場的に職場でモノが言えない分、辞めるしか権利がない」と思っていましたから、「派遣社員は辞める=無責任」だと思われるのも仕方ないかと。


でも、辞めずに解決できるよう、自分自身を変えるしかないと思いました。

立場は弱くても、自分自身が弱いわけではない。

なので、自分自身の「弱気な気持ち」を捨て、理不尽なマウンティングや悪意に負けないことです。

時に図々しく、強かに、精神的に強くならないと。

気持ちで負けていたら、何事も上手くいかない気がしますから。

心に縛りがあると「自分が喜ぶこと」にお金を使うことができません

あなたは、「自分が喜ぶこと」にお金が使えますか?

「自分が喜ぶこと」にお金を使うことに、罪悪感がありませんか?


日頃から自分に制限をすることが多い人は、「自分が喜ぶこと」に上手くお金が使えません。

例えば、素敵なレストランで食事したいと思っていても、「ダメダメ。外食なんてお金がもったいない」などと考えていると、「自分が喜ぶこと」から遠ざかってしまいます。


時に、「自分が喜ぶこと」は、ちょっぴり「贅沢」なことかもしれませんね。

特別な時だけの「ご褒美」的なものかもしれませんし。

しかし、「自分が喜ぶこと」を知っていながら、あれこれと理由をつけては「与えない」となると、それは明らかに「欲求不満」の領域に入っていく気がします。


「自分が喜ぶこと」は「ガマン」という「縛り」で遠ざける。

まぁ、「理想」と「現実」はいつだってギャップがあるものでしょうけど。



これは私のことですが。

去年の5月に、ライスワークである派遣の仕事を辞めてから、すっかり貧乏になっていました。

食べていくだけで精一杯な状況でしたので、生活の中の「必要なもの」しか買えなかった。

しかも、派遣で働いて収入があったころに買っていたものからレベルを落とし、金額的に安いものを選んで買っていました。

もちろん、ストレスの程度に応じて「自分にご褒美」は与えていたつもりですが、そのレベルも必要最低限で。


私は本来、浪費家です。

物欲が強く、買い物が大好き。

ですが、親の年金で細々と生活する日々は、そういった自分の欲求を殺す日々でした。

ですが今回、また派遣の仕事を紹介してもらって働くことができているので、一昨日、思い切ってバッグを買ったのです。

たぶん、バッグを新調するなんて、何年ぶりのこと。

新しいもの好きな私なのに、お財布ももう何年前に買ったのか思い出せないくらい使っていますし。

生活必需品ではないものは、買えませんでした。

でも本当は、バッグも財布も靴も化粧品も買うのが大好きで、ブランドものも大好き。

(バブル時代が懐かしい~・笑)


えぇ、ですから、買いました(笑)

ネットじゃなくて、百貨店で(笑)

しかも、2つ(笑)

1つは以前から欲しかったもので、もう1つは一目惚れで衝動買いですね。

それでも、数年ぶりにバッグを買ったからか、一目惚れを買えたからか、驚くほど気分が上がるのを感じました。

嬉しくて嬉しくて、帰宅して商品の包装を解き、見てはニヤニヤしていましたよ。


私も思います。

そうは言っても、お金が無きゃ、物も買えないって。

だから、毎月の収入が安定する仕事に就かなければ、いつまで経ってもバッグなんて買えなかったって。

でもね、いいじゃない。

バッグくらい買ったって。

自分のためにお金使ったって、いいじゃない。

生活必需品じゃなくても、いいじゃない。

なんだかそんな、開き直りに似た思いが私を支配していました。

去年は特に親のことにお金がかかり、自分のことは何から何まで後回しだった気がします。

でも今年は、自分のためにお金と時間を使いたい。

そんな気持ちを形にしたことが、バッグの購入となったわけですが。



「お金がもったいない」からと、欲しいものも買わず、「自分が喜ぶこと」にお金を使わないことも選択肢の一つではあると思います。

もともと倹約家だったり、お金を使うことに興味がない人もいるでしょう。

しかし、生活の経済的な事情と言った「現実的な縛り」でなく、「心の縛り」のせいで「自分が喜ぶこと」にお金が使えないとしたら?

それは自分がかわいそうだな、と思います。

と言うより私はいつも、「私って(親の)犠牲になるばかりで、かわいそうな人間だな」と思っていました。

そして、その不満は「怒り」となり「憎しみ」となって、そのネガティブな感情は親に向いていたと思っています。



「自分が喜ぶこと」「自分のモチベーションがあがること」に、お金を使いませんか?

バッグを買った私は、「よし!このバッグを持って出勤して、仕事頑張ろう!」と思えましたから。

今年に入ってから働き始めたので、まだお給料を1度もいただいていないんですよ(笑)

なのに買い物してしまった大胆さも、私の個性の中の側面ですから、まぁ、いいでしょう(笑)


自分ためにお金を使う、「自分が喜ぶこと」にお金を使うことは、必要な自己投資だと思います。

気分上げて生活するために、自己投資を惜しまないことをオススメしたいです。