グレーな解決。曖昧なままでいることもアリ

相性が悪い相手は、どこにでもいます。

どうやっても理解し合えない、常に不満だけを抱える相手。

それが他人であり、「取り換えることができる相手」ならいいのですが、親子や兄弟姉妹などの血縁者は、取り換えることができない厄介な関係です。


私は母親が嫌いです。

母親には私自身を理解してもらえず、どんなに尽くしても愛されることのない相手でしたから。

でも、そんな母親が認知症になり、もう、誰のことも分からなくなった今、それでも憎しみは消えない。

親子であるがゆえに、この感情から解放されずにいるのです。


私は短気だし、物事は白黒つけたがる性分です。

何より、自分が納得しないと動けないタイプで、その方向性を定めるために、相手と深く関わろうとして失敗します。

相手の本質を知ることで、「どう関わるか?」を決める。

そういう人間関係の構築の仕方をしてきました。

しかし、ここ最近、それは損なことでもあるな、と気づいたのです。


「白黒つける」ということは、「関わるか、関わらないか」のどちらかにするということ。

ですが、相手が血縁者の場合、「関わらない」が難しくなります。

どんなに嫌いでも憎くても、介護が必要な母親を放置するわけにはいかない。

なので私は、自分のコミュニケーションスタイルを、ひとつ増やすことに。


私の「白黒つける」は、「感情」によるものです。

「好きか、嫌いか」で、決める。

でも、それだけのコミュニケーションではうまくいかないので、その「白」と「黒」の間の「グレー」を取り入れることにしました。

「白でもなく、黒でもない」=「グレー」な関係。

それはとても曖昧で、少々居心地悪い感じですが。


しかし、人間関係なんて、この「グレー」がほとんどなんだと思います。

そこにある感情を無視したり、抑圧したりしろ、というわけではありません。

「嫌い」なら嫌いでいいのです。

「分かり合えない」なら分かり合えないでいいのです。

その「嫌い」なまま、「分かり合えない」まま、そのままで関わる。


「心」を脇に置いて関わることは、最初はちょっと大変でしょう。

ですが、そこも訓練でなんとかなるもの。



私はわりと二面性があり、「心」を脇に置いて顔だけ笑うことが得意です。

いつも正直な自分のままでいると疲れてしまうことも事実ですし、悪意を放ってくる相手から身を守るには、「演技」も必要だと思います。

自分の「心」まで騙すのではなく、相手だけ騙す。

こうして、グレーなまま、「タテマエ」を使ってうまく関わり続けることは、社会人として必要なスキルなのかもしれないって思います。

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「家族が自分たちの生活を犠牲にして認知症の母親に関わっている」ことを伝える

先日、こんな本を買いました。

『人のために頑張りすぎて 疲れた時に読む本』

根本裕幸さんという心理カウンセラーの著書です。


この本を買った時の私は、ちょうど「お疲れメンタル」で、思わず引き寄せられるように手に取った感じでした。

でも、「え?けど私ってどっちかっていうと自己チューだし、人のために頑張りすぎて、って感じじゃないんだけど?」って思ったんですよ。

それでも、このタイトルに魅かれて買ったのは確か。

そして、買って帰ったその晩、一気に最後まで読みました。


買った時には「え?けど私ってどっちかっていうと自己チューだし、人のために頑張りすぎて、って感じじゃないんだけど?」 って思ったのに、いやいや、「え?まるで私?」って感じ(笑)

自分の姿が書かれている、自分が言いたいことが代弁されているようで驚きましたよ。

私は自分が抱えている問題を目の当たりにし、同時にその解決も手に入れた気がしたのです。

そこで、この本に書かれていたことを、実践してみたのでした。


私がしたのは、「自分の価値を言葉にして伝える」こと。

それは、以前からずっと自分を苦しめていた「いい顔して人のために動いて損をする」という部分を何とかしたかったから。

「犠牲になって被害者にならないようにしよう」とは思っていても、そのやり方はまだまだ足りていなかったと分かりました。



本を読んだ翌日、今度母親が入所することになった施設から電話があったのです。

施設の担当者から、年明け7日の週に受け入れたいと。

しかし、7日からは仕事や学校が始まってしまうため、一瞬、どうしようか?と考えて……

私はこう言いました。

「本当は12月中に移動する予定だったんですよね。

でも、今いる施設で早く対応してくれなかったので、年明けでも仕方ないですね。

ですが、年明けで7日以降ってことになると、仕事も学校も始まってしまいます。

妹に会社を休ませるわけにいきませんし、子供たちも学校が始まるので頼めない。

私は会社を休まないとなりませんが。

でも、7日だったら、子供たちが始業式だけで帰宅するので、午後からでしたら手伝ってもらえます」


母親の施設転居に関しては、本来ならば今月初旬には完了している予定でした。

しかし、想定外のトラブルで遅くなってしまった上に、新しい施設への入所は、年末年始はダメ、土日はダメ、とされ、家族が施設側に合わせなければならないことに。


私は、「家族だったら、病気の家族を優先すべき。病気や高齢の家族の面倒を看るべき」という考えが嫌いです。

家族だから、長女だから、と、自分自身の生活の全てを犠牲にしてまで親の介護をする気はありません。

でも、今だからこう言えるのあって、数年前までの私には、こうは言えませんでした。


こういってはなんですが、親の看護や介護を通じて、医療や介護の現場では「家族がすべきだ」とする傾向の部分が多いような気がしました。

では、家族がいない病気の高齢者はどうするのか?

家族が県外在住などで近くに住んでいない場合はどうするのか?

近くに住む家族がいる、介護や看護をする家族がいる、となると、行政を始め医療機関や介護施設は、家族が犠牲を払わなければならないような方向性に向けたがる。

ですから私は、「家族にも自分たちの生活がある」ことを言いたかったのです。

施設への受け入れが、年末年始はダメ、土日はダメ、ということになると、施設側の要求だけが優先されることになり、母親を転居させる側の家族は、仕事を休まないとなりません。

だからせめて、そういう事情が存在していることだけは伝えたかった。

家族側も、自分たちの生活を犠牲にして認知症の母親に関わっているのだと。



私はこの本を読み、今までの自分の概念を180°ひっくり返された気がしました。

なぜって、こうして自分の都合を相手に伝えることは、「言い訳」「余計なこと」のように思っていたからです。

「え?言っていいの?だって、そんなの言い訳じゃん?余計なことじゃないの?」

私のバーバル(言語)コミュニケーションは、「結論を伝える」ことを優先し、そこにおけるプロセスを省く傾向でした。

もともと話の構築が下手くそで、まとまりがなく、独りよがりの伝え方になってしまうと自覚がありましたから。

この本を読まなければおそらく、母親の転居先施設の担当者に「では、受け入れは7日の午後でお願いします」とだけ、言ったでしょう。

けれども、ただそれだけ言ったのでは、「家族が自分の生活を犠牲にして認知症の母親に関わっている」ことは伝わりませんよね?

それどころか、「あの家の人たちは、いつでもOK」なんて、まるで暇しているみたいに思われてしまうかも。




私は今まで公私ともに、少々無理なことも、かなり無理なことも、「いいよ。大丈夫」と安請け合いする傾向でした。

ですが、それをしてしまうと、多少なりとも無理している自分の事情は、相手には伝わらないのですね。

ですから、そこはホントのことを伝え、多少なりとも無理があることを相手に伝えるべきだと思います。


そして、こうして自分の事情を相手に伝えるようになると、「ご機嫌取り」や「偽善」「補償行為(罪悪感などから行う行為)」ですることが減ると思うのです。

世の中には、「人が当然やってくれるもの」と思っている人は山ほどいて、そういう人こそ、こちらの事情など考えていない、気づこうともしていない。

そんな人たちに、自分の大切な時間や労力を、どうして好き好んで与えますか?

そういう人たちに対して、「ご機嫌取り」や「偽善」、「補償行為」で行うから、「犠牲」になるのでは?


相手の要求を受け入れることで、自分が抱えるデメリット、リスクなどの事情を、ちゃんと相手に伝える。

周囲の人たちに伝える。

これって必要なことなのですね。

久々に良い本に出逢えました。

オススメです♪

「お金」を使ってマウンティングしてくる人って怖い!

私の母親は認知症で、現在、某施設に入っています。

2年間精神病院に入院していましたが、今年の夏に退院し、今いる施設に入ったのですが。

でも、ここの施設も、今月には出る予定になりました。

それは、9月に入って2ヶ月しか経っていないのに、先月、問題が発生したからです。

結果的に言うと、とある問題をきっかけに、長女であり母親の全ての責任を負う立場にある私が、その施設を信用できなくなったから。


「退所したい」と施設側に申し出てから、数回、施設長と話をしました。

するとその中で施設長が数回繰り返したのが、「料金の安さ」についてでした。

正直言って、そこの施設を選んだ理由は、「料金の安さ」です。

精神病院が用意した「老人ホーム紹介センター」なる怪しい人たちが仲介した、こちらの予算にマッチングした施設というわけで。

ですが、料金の安さを優先したので、我が家からは遠くて不便さを感じていたのも事実でした。


今回、そこの施設長の「うちは安いでしょ?」という物言いに、なぜかイラッとしていた私。

つまり言いたいことは、「お宅の予算内で収まるのはうちの施設くらいだ」ってことかしら?

「料金的に問題がありますか?」のような言われ方もしました。

でもね、私は私の「イラッと」の理由が分かったのです。


安かろうと高かろうと、料金を決めたのは、施設側です。

私は「安くしてください」とお願いしたわけではありません。

料金とこちらの予算がマッチングしたから選んだだけのこと。

なのに、「安いでしょ?」と、その料金の安さを言葉にしてくるのは、おかしいと思いました。


この施設に見学に行った時、そこで働く施設長の次に偉い人?が、こんな風なことを言ったのです。

「(入居者たちが)もっと美味いものを食べさせろって、ウナギを食べたいとか言ってくるけど、1日××円の食事代で何言ってるんだ?って思う」って。

これを聞いた私は、「うわー。すごい上からな言い方だな~。しかも、これからここへ入ろうってお客さん(私)の前でそれを言うかな~」って思いました。

それに、そんなことを言うなら食事代値上げすればいいのに、とも思いましたよ。

やはり今になってみて、この時に感じた違和感を大事にすべきだったと後悔しています。

ここの施設は、「料金の安さ」を売りにしているのでしょうけど、同時に、「安くしてやっている」という意識が見え見えなのです。


勘違いしないでほしい。

こちらには「安くしてもらっている」などの意識はなく、施設側が提示する金額を支払っているだけのこと。

ですので、そこを恩着せがましく言われた気がして、イラっとしたわけです。


捻くれたものの見方かもしれませんが、私の母親のような認知症や、家族に面倒を看てもらえない高齢者など、社会的弱者とも言える人たちが入る施設では、「人助けをしている」という表側の顔の裏側に、そういう人たちの生活をサポートすることによって満足させるネガティブな顔を持っている人も存在します。

「上から目線でいたい」と思う人には、「自分より下にいてくれる存在」が必要でしょ?

先生には生徒、親には子供、というように、その存在を作るために必要となる「対の存在」がありますから。



「お金」というものは、人間の上下関係を作る上で、とても便利なもの。

「お金を持っている方が上」のような勘違いをさせるのも仕方ないでしょうね。

「お金」を使ってマウンティングしてくる人は、少なくないのかもしれません。

マウンティングとは、「自分が優位であることを示そうとするコミュニケーション」とありました。

おサルさんが他のおサルさんに背乗りするやつですね。

料金を安くするのは、売り手側の勝手です。

それは商売として、メリットがあるからそうしているのではないですか?

「お客さんのために安くしている」と言いながら、「安くしてやっているんだ」とお客さんを下に見るネガティブな意識で商売しているなんて、怖いな~と思いましたよ。

でも、バーゲンセールは大好きですよ(笑)

お安くしてください♪

マイナス要因が多い職場や人間関係に、自分のエネルギーを使わない

最近、心から納得したことがあります。

それは、「自分のエネルギーの使い方」です。

この「エネルギー」とは、自分自身の「意識」「労力」「お金」など、自分が持っているもの全て、だと思っていいと思います。

結論から先に言うと、

「自分にとって価値がないものに対して、エネルギーを使わない」

ということになりますか。


先日、親友とこんな話をしました。

「辞めたいって思うような職場って、すでにマイナス要因が多いってことなんだよね」って話。

考えてみてください。

「好き」や「楽しい」がある仕事、職場って、「辞めたい」って思いますか?

そりゃあ誰だって、一度や二度の「辞めたい」は経験するのでしょうけど。

問題は「辞めたい」が「継続するかどうか?」なのですよ。


心身のダメージは、=マイナス要因です。

「辞めたい」と思うような職場には、そのマイナス要因が多く、そのマイナス要因は無くならないことが多い。

そのため、マイナス要因=心身のダメージとして、「蓄積されていく」ことになります。

「辞めたい」と思う職場で使うエネルギーは、「ガマン」や「諦め」「惰性」です。

そのエネルギーは、ネガティブなもの。

そんなエネルギーが、自分を幸せに導いてくれるでしょうか?


「愛が動機の行動は愛を生み、不安が動機の行動は不安しか生まない」

これと同じです。

私はここ最近の自身の体験から、ネガティブなエネルギーは抱えることも発することも「損なこと」だと、心から納得できました。

職場のマイナス要因をカバーするために使う「ガマン」というエネルギーは、心身へのダメージですから、それが蓄積すればどうなるかはちょっと考えれば分かることでは?


それは仕事や職場だけでなく、人間関係も同じです。

行きたくもない、職場の忘年会、ママ友のランチ会、合コンなど、疲れますよね?

行きたくない、気乗りしない、でも、「付き合いだから」などの理由で参加する。

そして、払いたくもない会費を支払い、楽しくもない時間を過ごし、「は~。疲れた」って?



私たちには、「選ぶ権利」があります。

仕事も、職場も、人間関係も。

そして、自分のエネルギーをどこへどう使うのか?も、選ぶことができるのです。

もちろん、「辞めたい」と思う職場を自ら改善できるよう動いて変えることができるなら、何の問題もありません。

ですが、「相性が悪い相手」とは距離を置く方が利口でしょうし、相手を変えようとするよりも自分が変わることの方が楽。

結局、自分のエネルギーを「ガマン」という形で日々放出してしまって、本当に限界が来て職場を去る時、エネルギーはどれだけ残っているのでしょうか?

うつ病などで「強制終了」の日が来てしまったら、次の職場を探すエネルギーも残されていないのです。

マイナス要因が多く、心身のダメージが大きな職場や人間関係は、しょせん、長続きしないもの。

「ガマン」など、そう長くは続きませんよ。

ですので、エネルギーを使い果たしてしまうような極限まで、自分を追い込まないことが必要です。


いつもポジティブなエネルギーに満たされていることを意識し、ネガティブなエネルギーは手放せるよう、マイナス要因が多い職場や人間関係とは早々にサヨナラしたいものですね。

職場のストレスから自分を守るための境界線は

直前の記事で、某会社を3日で辞めたことを書きました。

私はこのことがきっかけとなり、今まで見つけられなかった「自分なりの答え」を見つけることができたのです。


「会社を辞めたい。でも、辞めたらお金(収入)が無くなる」

そう思って会社を辞める決心がつかない人は、多いはず。

私もその一人でした。

「お金」か?「体(健康)」か?と散々悩み、葛藤して、そのせいでさらに眠れなくなるという、悪循環を繰り返して生きてきました。

ですから、今回も悩みました。


ですが、そんな私を救ってくれたのが、親友の存在だったのです。

実はこれも偶然にか、必然か。

私の親友も以前、私が今回働いた職場と同じ業界で働いたことがあったのですよ。

しかも、彼女の場合は私より少なく2日でリタイヤ(笑)

そしてその時、彼女にその職場を辞めるように説得したのは私でした(笑)


彼女はとてもエネルギッシュな行動派。

その見た目の華奢さからは想像しがたいほど、常に動いている人です。

なのに、その職場に出掛けた日、彼女からのメールには「疲れた」の文字が……

それを見て「ん?」と思った私。

「疲れた」なんて言葉を、彼女から聞いたことなどありませんでしたから、ちょっと変に思ったんですよね。

すると次の日も同じく「疲れた」というメールが。

そこで話を聞いたところ、今回の私と似た状況で、心身共に疲れてしまっていることが判明。

それでも彼女は、「明日も会社に行く」というので、私は止めたのです。

「そんな職場、辞めちゃいなよ」と。

激しく説得し、ようやく辞める決心をしてくれた彼女は、次の日の朝、職場に連絡をして辞めたわけです。


この経験から彼女は、今回の私のストレスをよく理解してくれましたし、自分がそこで気づいて学んだことをシェアしてくれたのでした。

私はいつも、悩みます。

ストレスを感じる職場を、辞めるか?続けるか?

辞めるとしたら、いつ辞めるのか?

「どこで線を引くか?」が分からずに、いつも「逃げ遅れて」はひどいダメージを喰らってしまうのです。

私の親友は、2日で辞めたその職場に対し、こう思ったそうです。

「自分が苦手なことをさせられている」と。

今回の私も、全く同じでした。

「この仕事は私には向いていないな」と思えたのは、やはり、「自分が不得意なことをしなければならなかった」からなのです。



親友の話を聞き、自分の経験と重ねて考えることができた私は、ここで自分の「線を引く場所」を決めることができました。

★ 精神的・肉体的に苦痛を伴う、自分の能力を大きく越えている業務を要求されている

★ 自分がやりたいことと大きくズレている

この2つのどちらかでも発生した場合は、迷わずその職場を辞めよう、と決めたのです。


お金をもらうための仕事ですから、妥協も努力も必要でしょう。

スキルアップのためには、自分の能力の限界に挑戦しなければならない時もありますね。

ですが、「心と体の健康」を害してまで得なければならないものって、本当にあるのでしょうか?


「人にできることが私にはできない」

私はそう言っては自分を裁き、自分を責めて生きてきました。

私は無能で、価値のない人間だと。

でもね、同時に、「人にできないことができる私」も存在するんですよ。

だから、職場において要求されることが「できない自分」を、もう、絶対に責めないと決めました。



人間は変化する生き物です。

その能力も価値観も変化します。

ですから、「今の自分の能力」「今の自分の価値観」「今の自分の事情」を基準にして考えればいい。

能力だけでなく、抱えている事情も、人それぞれです。

性別、年齢、健康状態、家庭の事情、家族の事情などなど、色々ありますね。

それらのものを全てひっくるめて考え、「自分にできること」を選んでいけばいいのだと思います。


例え一時のことだからと、自分の何かを犠牲にしても手に入れたいものはあるでしょう。

けれど、あとになってその犠牲の大きさを後悔することになっても、遅いのですよ。

大事なのは、「今働いてもらえる給料」ではなく、「来月以降の給料をもらうために働ける自分自身の体」です。

その体を守るために、合わない職場を去る勇気を持ちませんか?

その勇気はきっと、手放したもの以上のものを引き寄せるのだろうと、私は信じています。

最短期間更新ならず(笑)今回は3日で仕事を辞めました

これはもう、私の話です(笑)

実は今月に入ってから、とある会社にアルバイトに行ってました。

サービス業なのですが、私はそこのシステムへのデータ入力と、電話応対、お客様のお茶出しが仕事。

社員は女性3人で、全員が20代。

3人とも明るく快活で、仲良しで、人間関係の良い職場に入れたと、私は喜んでいたわけです。

ところが、現実は想像と全く異なっていました。

確かに、3人は仲が良く、若い女子らしくお喋りする姿がほほえましいな、と最初は思ったのですが。

彼女たちの会話のメインは、「お客さんの悪口陰口」だったのです。

その激しさに私は引きましたよ。

怖くなりました。

私もこうして買い物した先で悪口陰口言われてるのかな?と思うと、怖くて買い物もできないぞ、と。

そして彼女たちは、自分たちだけで会話し、同室で隣に座っている私などいないかのような扱い。

もちろん、自分の母親くらいの年齢のおばさんとは話も合わないでしょうと、私も最初から期待はしていませんでしたが、その無視っぷりにはガッカリ。

男性客に対してはハイトーンで笑顔で接するくせに、この裏表ってなんなの?

女って怖~…と。


まぁ、辞めた理由は、その程度のことではありませんでした。

まず、仕事の内容そのものが合いませんでした。

ひとつのことに集中して作業したい私にとって、データ入力しながら電話取ったりお茶出ししたりは、負担だと分かったのです。

しかも、お茶出しして茶碗洗ってを繰り返したせいで、初日から手がカッサカサになり、ハンドクリーム塗っても間に合わない。

何より辛かったのは、データ入力するためのデスクと椅子の高さが私に合わず、首と腰が痛くなってしまったことでした。

私は長年CADオペとして働いてきて、パソコン操作をするための環境がとても大切だということを知っています。

体に合わないデスクや椅子は、パフォーマンスを下げるだけではありません。

でも、そこの職場は、接客カウンターでのデータ入力を要求されていて、「デスク」でさえもなかったのです。

そのせいで初日から頭痛が始まり、頭痛薬を飲まないと出勤できない状況に。

さらに、自分の個性に合わない仕事をすることのストレスが加わり、夜、眠れなくなってしまいました。

職場に会話できる人もいない、無視されてるような孤独感を味わい続けている、仕事にも慣れないから失敗する……


仕事開始から4日目の朝、私は「仕事に行きたくない」と思いました。

体調もすこぶる悪く、寝不足から風邪をひいた様子。

でも、休めばお金がもらえないし、休んだことで迷惑を掛けるし、陰で悪口言われるのも嫌だな、と考え、頑張って出勤しました。

が、やはりどんどん具合が悪くなり、耳鳴りも強くなってきて、電話の相手の声がよく聞き取れない状態になってしまったのです。

なので仕方なく、上司に「早退したい」と申し出たのですが……



驚きました。

生まれて初めて、あんな風に言われました。

「万全な状態でないなら、来ないでください」

こちらは体調が悪いと言っているのに、それに対して心配したり労ったりする様子は全くない。

それどころか、「具合が悪い様子でいられると、そんな具合が悪い人を無理に使ってると思われます。ここではルールがあり、咳が出る場合はマスクをして仕事をしますが、それは社員の場合で、パートさんにはそこまで求めていません」と。

「万全の状態でないなら、来ないでください」と繰り返し言われる始末。


私は思いました。

確かに、その上司の言ってることは正しい。

でも、モノには言い様ってものがあるし、「具合が悪いから帰りたい」と言っている人間に、今ここで説教するか?と。

「なんて優しくない人なんだろう」

お客さんに対しては感じが良くて、組織のリーダーとしても優秀で、その容姿も良い。

しかし、「人間としての部分」はどうなんだろうか?

自分の会社のルールやスタイルを主張する前に、目の前の「具合が悪いから帰りたい」と言っている部下に寄り添う「心」はないのか?


私は悲しくなりました。

そして早退し、泣きながら運転して帰りました。

あんな風に扱われる職場は、もう辞めたい。

でも辞めたら、無収入になってしまう。

とりあえず、その翌日も、仕事は休みました。

けれども……

結果的に私は、この職場を辞めたのです。

まともに働いたのは3日間だけ。

辞めるにあたり、自分と向き合って自分の中の答えを模索しました。

それは「お金か?健康か?」と、激しく葛藤することでもありましたが。

私は悩み抜いた末に、「健康」を選びました。


この心の葛藤のことは、この次で書きたいと思います。

それは「個性」であり、それは「相性」の問題

とある件で関わった関係者のこと、手相占い師のことや、大失敗した話などを書いた最近ですが。

結局、なんだかんだと言ってたところで、すべて「相性の問題」なのだというところで落ち着きました。 


先日、ふと思ったんです。

私は「個性」というものを大事にしているのに、私がここ最近書いてたブログって、その「個性」を批判したことになってるよね、って。

相手の悪口を言いたくなるのは、その相手に不満があるから。

その不満はどこから来るか?と言うと、「自分の思い通りにならない」ことから来るのです。


そもそも「ストレス」とは、「理想と現実のギャップ」が生み出すもの。

相手が思い通りになるといった形で「理想」が満足されるなら、不満もない。

悪口の言いようもありません。

「あの人が悪い、この人が悪い」

そして、

「自分が悪い」

悪者探し、犯人探しをして、問題の責任をどこへ問うか?

それをすることにより、自分自身も消耗します。


「個性」とは、

その人の感じ方、考え方、意識、能力、育った環境、性格などなど、

その人の「全て」です。

そしてそれらが、「価値観」というものを作っています。


その人が持つ「価値観」というものは、その人が生まれる時に持ってきたものに加え、その人が生きてきた過程で作られたもの。

先天性と後天性がMIXされて作られるものです。

ですから、「価値観」も変化します。

人は変わるのです。


自分に起きたネガティブな出来事を検証し、反省し、次に同じ失敗を繰り返さないように自分を変えることも大事でしょう。

でも、シンプルに、「相性が悪かった」は大いに言えると思いませんか?


仕事や人間関係ほか、物事が長続きしないことについて、「ガマンができないワガママな性格」と、その個性を批判するのは簡単です。

しかし、では、相手側には何も非がないのでしょうか?

私は、あの手相占い師から「仕事はガマンするのが当たり前」だと言われましたが、健康を損ねてまで続ける必要はないと思っています。


そして「個性」として、心身の「強度」もみんな違うということを言いたい。

自分にできるから人もできるだろうと考えるのは、愚かなことだと思います。

体が丈夫な人と弱い人がいるように、メンタルも、強い人と弱い人がいるのです。

それを考えると、「誰が悪かったかれが悪かった」と犯人探しをせず、「あぁ、相性が悪かったのだな」という処理でいいのでは?


成長のためには、自分を変えることも必要です。

でも、「個性」がある限り、「相性」というものもついてまわるもの。

仕事は、やってみないと分からない。

会社も、入ってみないと分からない。

人も、関わってみないと分からない。

最初は上手くいっていても、徐々に合わなくなっていくこともあります。

その逆で、どんどん仲良しになっていくこともある。

ですから、最終的には、お互いに、相手の「個性」を受け入れることができるかどうか?

相手が人であっても会社であっても、物事は何事も。


相手や自分を批判して責めて、ネガティブなエネルギーをまき散らしてしまう、また、抱え続けてしまうよりも、

「相性が悪かった」として、そうそうにエネルギーを切り替えた方が得策だ、と思いました。


「相性が悪いな」と感じたら、できる限り早く、そこから立ち去ること。

生産性のない場所に留まるほど、損なことはありませんよね。