自分にガマンを強いることと「罪悪感」の関係

貴女は、「罪悪感」を感じたくなくて、自分がガマンする方や犠牲を払う方を選んでいませんか?

 

 

私事ですが、母親が認知症になったり父親が入退院を繰り返して、事実上の介護離職となっていた時期がありました。

その時、親たちの年金だけで生活していて、私はその罪悪感から自分のものを一切買えないという状態に陥っていたのです。

 

食事は、親たちには肉や魚などを買って調理して出すけれど、私は料理しながら台所でご飯にふりかけをかけては立ち食いすることがほとんど。

炭水化物ばかり食べるから、太るくせに、不健康。

そんな生活が1年ほど続いたある日、体調不良で病院行き。

 

体調不良の原因は貧血やら何やらで、こんなに太っているのに栄養不足って…

高い医療費払って、なによ?これ。

本末転倒。バカみたい。

 

 

この時、お勤めして収入を得られないのだから、せめてメンタルケアの方の仕事で稼げばいい。

そう思っていました。

でも、とてもじゃないけど、他人の相談に乗ってあげる、問題解決のために知恵を出す、なんてできる状態じゃなかった。

 

日々の生活でいっぱいいっぱい。

助けてほしいのはこっちの方よ!って感じで、結果的にメンタルケアの仕事の方もほぼ休業状態でしたね。

 

 

私は長女なのですが、子供のころはよく母に言われていました。

「お姉ちゃんなんだから、(妹に)あげなさい!」って。

 

私と妹は5歳年が離れています。

ですから、妹が姉のものを欲しがるような年齢のころには、私も物事が分かるくらいに成長していたんですよね。

 

そして幼い妹が、私が他人にもらったものなどを欲しがると、母親は決まって言う。

「お姉ちゃんなんだから、あげなさい」って。

 

そういう時、私は思っていました。

「私がもらったものなのに、どうして妹にあげなきゃいけないの?」

 

お菓子などの、分けられるものだったらまだいい。

悲しかったのは、分けてあげられないものを要求された時でした。

 

 

そういう幼少期を生きていたからか、私には、自分はガマンして他人を優先するスタイルが定着。

自分がもらったものでさえ妹にあげなきゃならなかったのですから、親がもらう年金で生活するなんて、罪悪感以外の何ものでもなかった。

 

 

でも、もしかしたら私、自分にガマンを強いるための理由を、自分で勝手に作っているんじゃないか?と思ったのです。

「楽に生きてはいけない」と言わんばかりに、自分に負荷をかけるのではないか?と。

 

セルフセラピーカードの「罪悪感」のカードは、まさにこれを絵に描いたもの。

3

あ~、これって単なるドMじゃん?

って、笑えません?

 

…そうですね。

私は、母親に言われたから妹にものをあげたのではなく、妹にあげなかったことの罪悪感を感じたくなかったのかもしれませんね。

「罪悪感」とは、「罪の意識」です。

「自分は罪を犯した」と、「良心の呵責」に耐えられない。

 

でもね、こういう習慣、変えていかなきゃいけないな、と思うわけで。

結局、「罪悪感」は無くても、ガマンや犠牲を払った分は、別のマイナスを背負う形になるんですもん。

そこにメリットなんてないんです。

だって、ただ「罪悪感」から逃げたいだけですから。

 

これからは、「罪悪感」に負けない自分で生きることに、チャレンジです。

ガマンや犠牲を選ぶことのない自分で生きていきたいですもんね。

 

 

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「ガマン」が育ててしまう狭量な私

自分が「ガマン」していることを、他人が無遠慮にやってのけるを見て、憎たらしく思ったことはありませんか?(笑)

 

先日、こんなことがありました。

私の可愛いヘタレ甥っ子が我が家に来た時のこと。

彼は「テスト前なので勉強をしたい」「家にいると集中できない」という理由で、たびたび我が家に来ています。

可愛い甥っ子なのでそれは全然構わないのですが、この彼、ちょっと天然というかなんというか、わりとやりたい放題の傾向があるんです。

 

育ち盛りですから、当然、ご飯もとんでもなくたくさん食べます。

彼が来る日は食材を買い足しにいかなきゃなりません。

それでも、可愛いし、私を頼ってくるのだし、と、私はホントに彼に甘々でした。

 

が。

現在、我が家は以前と経済状況が変わり、「節約」を余儀なくされています。

可愛い甥っ子のためとはいえ、お金がかかることで彼に尽くしてあげることが思うようにできなくなってきて。

 

私自身、節約生活の基本である光熱費を減らそうと必死になっていて、コンセントを抜いて歩いたり、窓ガラスにプチプチを貼ったり、食洗器はタイマーにして夜中に回したりと、できることは何でもしているわけです。

電気代がかかる家電を調べることから始まり、時間帯別電気料をメモった付箋を貼って、電気代が1円でも安くなるように必死。

 

なのに先日、我が家に来た甥っ子は…

テレビをつけ、リモコンで番組をあちこち忙しく変えながら、彼はこう言いました。

「テレビ、いいのがやってないよね。つまんないのしか、やってないんだ」

 

私、この一言で、キレてしまったのです。

「じゃあ、消しなさいっ!つまらないんじゃあ、見なくていいでしょっ!?アンタ、何しにうちに来てるのっ!?」

自分で自分がコントロール不能になったことを自覚したくらい、怒りが湧きました。

 

まぁ、テレビのことだけじゃないんです。

彼は、照明やエアコン、扇風機などをつけっぱなしにすることが多く、ママ(私の妹)にも常に注意されている。

 

でもね、私、節電節約しているのは私の都合で、ましてや相手は子供なのだから、こんなオトナの事情を押し付けるのは良くないなって思って、彼には自由にさせていました。

しかし、私は必死になって節約生活を頑張っているのに、なによ、これ?

 

甥っ子が来た日は少し寒くて、甥っ子が勉強する居間は暖房をつけてあげたのですが、パソコン作業する2階の自室は暖房無し。

私は、フリースのパーカーに、膝掛け、マフラー。

そこで私が考えていたのは、「甥っ子に電気を取られてしまっているから私は使えない」ってことでした。

2人いれば、電気も2人分になって当然でしょ。

でも、漠然と、私の頭の中には、電気1人分しか使っちゃいけないって決めつけみたいなものがあり、2人分に増量することを許せなかったのだと思います。

 

正直言ってここ最近、ガソリンも高くなっているせいか、光熱費のことで不安になって眠れない日も多くなりました。

これはそろそろマズいかな?と考えたこともあって、昨夜、この甥っ子とのエピソードを電話で親友に愚痴ったのです。

そしてそこで初めて、自分がどれだけガマンしていたか、自分を追い詰めていたか、に気づいた。

「もう、いっぱいいっぱいだった」ということです。

 

 

自分だけがガマンをする。

自分だけが努力をする。

それをある程度の期間続けたことにより、心は柔軟性を失い、他人に対して寛大ではなくなってしまう。

それを改めて痛感した出来事でした。

なので、今後の節電対策と、甥っ子への対応をどうするか?

ちょっと考えたいと思っています。

物事は表裏一体だから「選ぶ」ことが必要

先日、我が家の庭木の伐採と剪定をしてもらいました。

ちょうどその日はRigelさんでのイベントの日だったので夜帰宅したのですが、夜目でも分かる、庭の明るさにビックリ。

モサモサと茂っていた木々がスッキリとカットされ、枝葉の隙間から家の壁が見える。

そして、数本の木を思い切って伐採したためか、庭が広く見えました。

 

でも私、今回、こうして庭木の伐採と剪定を依頼するにも、ちょっと悩んだんです。

実は少し前、防犯面で嫌な思いをしたことがあって。

 

モサモサと茂っている庭の木々ですが、ある程度、家の前の道からの視線を妨げてくれてました。

それに、夏は日陰を作ってくれる。

 

けどね、モサモサしてる木々は、庭に入ってくる不審者の姿も隠してしまうでしょ?

そして、夏以外は家に陽が届いた方がいい。

 

悩みました。

庭木に関しては、プロを頼んで作業してもらうにもお金がかかるし。

 

現状維持か?

伐採&剪定か?

 

 

残念ながら、この世のものは全て、「メリット」と「デメリット(リスク)」が必ず同時に存在しています。

長所と短所は別モノではなく、表裏一体のもの。

長所は同時に短所となり、短所もまた同時に長所となる。

 

ですから私たちにできることは、「選ぶ」ことなのです。

私たちは常に物事の「表」と「裏」を見ながら、そのどちらかを選び続けて生きているわけです。

 

ストレスは、「(表も裏も)選べない」という状態で起こりやすくなります。

つまり、「選ぶ」=「腹をくくる」ことができれば、ストレスにはならない。

選べなくて、流されていて、モヤモヤしているから辛い。

 

 

結局私は、今回、庭木の伐採と剪定を選びました。

不必要な木を根元から切り取ることで、剪定作業や枯れ葉掃除という今後の自分の負担も軽くしました。

庭全体と家に陽を入れながら、広がった空間を楽しみたい。

葉が茂っていて陽が届かなかった木の足元の部分には、何か新しく花を植えたいと思います。

 

表裏一体のもののどちらかを選ぶ時、悩んで迷って、苦しいですね。

でも、どちらかに決めてしまえば、あとは流れに乗るだけではないでしょうか?

自分の欲求「ホンネ」をちゃんと認めてあげて

昨日は、Rigelさんでのプレミアムフライデーイベントでした。

いつも通り楽しい時間を過ごすことができ、Rigelさんにも、来てくださったお客様たちにも、一緒にイベント参加している2人のセラピストさんたちにも、感謝感謝です。

Rigelさんは浄化作用の高いジュエリーを扱っているせいか、それとも、その作品を作っている作家さんたちのエネルギーのせいなのか、お店全体の雰囲気がとてもいい場所。

昨日も、女性たちのおしゃべりが絶えない、にぎやかで華やかなイベントとなりました。

また来月が楽しみです。

 

 

さて。

そんな昨日ですが、カードセラピーを受けてくださったお客様たちに共通していたことを、ここで書きたいと思います。

毎月、「あ、今日はこんな感じのテーマだな」と、みなさんに共通することが必ずあるので驚くのですが。

同じカードが何度も出たりして、気がつくと私、さっきのお客様にも同じことを言ってたな~って、よくあります。

 

 

昨日は、「自分の欲求(ホンネ)をちゃんと認めてあげよう」って感じのテーマだったと思います。

 

最近の私が出逢うのは、既婚者で子供がいる、といった女性たちです。

そしてその女性たちの多くが、「家族のためだから」「夫のためだから」「子供のためだから」と、自分自身より他者のために動いているようです。

もっと言うと、「お金のため」や「仕事のため」だったり、「付き合い」のためだったり。

「自分以外の人(モノ)を軸にしている生き方」って感じ。

 

でも、果たしてそういう生き方って…

最終的に「幸せだ」と言えるでしょうか?

 

 

どうして私たちは、

「それは好き」「それは嫌い」「それは無理」「それは辛い」「それは困る」…などなど、

自分の気持ちや事情を「無かったこと」にまでして、自分以外の人やモノを優先してしまうのでしょうか?

 

「だって家族のことだから」「だって仕事のことだから」

それは私にも分かります。

 

けど、ちょっと考えてほしい。

 

自分がいなくなったら、誰が家族のお世話をしますか?

病気になったら、仕事に行けますか?

 

「ストレス」とは、「理想と現実のギャップ」が生むものです。

「○○したいけど、できない」「○○したくないのに、しなきゃならない」って、自分の欲求が手に入らない時に生まれるものが「ストレス」なのです。

 

「ストレス」は、「悩んでいる、悩んでいない」という、自覚できる大きな問題ばかりに存在しているわけじゃない。

ほんのわずかな「モヤっと・イラッと」の中にあり、それは無自覚のまま拡大してしまうもの。

 

ですから、「自分の欲求」…つまり、「ホンネ」を、ちゃんと聞いてあげてください。

自分はどうしたいのか?どう在りたいのか?

まずはそこを確認した上で、じゃあ他人とどうすり合わせるか?を考えればいいじゃないですか?

 

「ホンネ」

大事にしましょ♪

自分以外の人(モノ)を優先する生活は、苦しいですよ?

 

 

「どうしたらいいか?」を考える。 未来解決志向②

心理カウンセリングの技法にはいくつかあり、私は「未来解決志向カウンセリング」という技法をベースとして使っています。

これは、「問題の存在する過去ではなく、未来にフォーカスして考える」とした、ブリーフセラピー(短期療法)の一つです。

 

 

私の甥っ子、ちょっぴりヘタレ(笑)

なので、ちょいちょい失敗しては、ママや私に叱られる。

そして問題は、こうして大人たちに叱られた後、甥っ子はへこみまくり、食事も喉を通らないくらい暗く落ち込んでしまうこと。

その時の彼は、「どうして僕はこんなにダメ人間なんだろう…」と自分を責め続けているとのことでした。

 

私は自分の生活にも、「未来解決志向カウンセリング」を取り入れています。

ですから、甥っ子のように何か失敗してしまった後、「どうして?」と自問することをしなくなりました。

「どうして?」と「犯人探し」をしたところで「何も解決しない」ですもん。

 

では、どうしたらいいか?

はい。

「次に同じこと(失敗)をしないためにはどうしたらいいか?」を考えるのです。

 

「どうして?」と「犯人探し」をしている間は、意識が「過去」を見ています。

失敗してしまった過去に囚われ、時間は止まったまま…。

 

それに対し、「次に失敗しないためにはどうしたらいいか?」の「次」とは、「未来」のことですから、そう考えた時点で、意識は「未来」にあります。

この時、「過去」は、「失敗データ(未来解決志向カウンセリングでは、資源:リソースと呼びます)」になるだけ。

 

「どうして?」と「過去」だけ見ていても、何も解決しません。

「マイナスの感情の海で溺れ」て、辛く苦しいだけですよ。

 

 

次に同じ失敗をしたくないのなら、「じゃあ、どうしたらいいか?」を考える。

 

毎日を楽しく、楽に生きたいなら、「過去」に囚われていてはダメ。

未来に希望を持ちながら、しっかり現実を生きることが必要です。

 

さぁ。

今日も「未来解決志向」で行きましょう!

「どうして?」は「犯人探し」になる。 未来解決志向①

私たちは失敗をした時など、他人や自分を責めることがありますね。

その時に必ず出るセリフが、

「どうして失敗しちゃったんだろう?」

「どうして私はこんなにダメなんだろう?」

「どうしてあの人は意地悪するんだろう?」

などなど、

「どうして?」

ではないしょうか?

 

でも、この「どうして?」は、結果として「犯人探し」をしているにすぎないのです。

「今回の失敗の責任は誰にあるか?誰が悪いか?」なのです。

それは、「(失敗を招いた)犯人は誰か?」を決定するだけでしょ?

 

じゃあ、「犯人」を決定して、次はどうしますか?

「私はダメ人間だ」

「あの人のせいで失敗した」

 

そう決定した後は?

 

はい。

その先は、「マイナスの感情の海で溺れる」だけです。

怒り、嫌悪、憎しみ、恨み、嫉妬、などなど。

 

なので、「どうして?」と自分や他人に対して質問しても、あんまりいい結果にはなりそうもないですよね。

 

では、「どうして?」の後に「マイナスの感情の海で溺れる」ことを避けるにはどうしたらいいか?

次の記事で書きますね。

 

 

「してもらうのが当たり前」の人に気をつけよう

先日、イラッとしたことがありました。

図々しいというか、ちゃっかりしてるというか、人のフンドシで相撲を取る人に遭遇したのです。

 

こういう人とは関わり方を考えないと、搾取されるだけ搾取されて損して終わり、ってパターンになる。

なので、気をつけよう、と改めて意識したのですが。

 

何て言うか…

「自分は何もせずに他人に期待する人」っていますよね?

 

これはだいぶ前のことですが、同じ職場に、こんな女性がいました。

その女性、仕事がなくて暇していて、私はよく愚痴を聞かされていたのです。

「やることがない。暇で困る」って。

で、その女性、その現実を、上司のせいにしてました。

上司がちゃんとしていないからいけないんだ、自分を遊ばせておくなんて、上司が仕事できないからだ、と。

ようは、自分の上司には、部下に仕事を割り振る能力がないってこと。

 

でもね、私、知ってました。

彼女、自分に仕事がなくて暇してて困ってることを、誰にも言わないって。

そこで私、仕事をもらえるように周囲の人たちに声を掛けたらどうか?と提案しました。

すると彼女は、「仕事ありませんか~?」と周囲に訴えるようになったけど、まだ、仕事にありつけずにいる。

そうなるともう、上司の悪口ばかりか、会社そのものの悪口まで言い出します。

 

けど、そこでも私、思ってました。

彼女、自分から仕事を見つけようとはしていないって。

 

つまり、赤ちゃんと同じです。

「与えられること」のみを求め、自ら行動して手に入れようとはしない。

 

上司から与えられる仕事だけが仕事ではありません。

掃除をしたり、デスク周りを片付けたりなど、「自分で仕事を見つける」こともできるはず。

 

なのに、「与えられない」と言って他人を批判するのは、ちょっと違う気がするのです。

 

今回、自分が関わったことがこの時のことを思い出されるようなことでしたので、ちょっと書いてみましたが。

 

こんな風に、自分は努力せずに「与えてくれない」と他人を責めるような人は、私、好きじゃありません。

気をつけなきゃならないのは、こういう人は「依存型」で、人から搾取することに何の抵抗も持たず、悪意もないこと。

「してもらうのが当たり前」の精神ですから、してあげても何も返ってはこないどころか、「もっと与えてくれ」と搾取され続ける危険性が大。

 

自分の行動に「見返りを求める」ことには賛否両論かと思いますが、何も返ってこない相手に与え続けることは苦痛ではないでしょうか?

私は苦痛です。

ですので、必要以上に搾取されないよう、こちら側が気をつけることが必要だと思っています。