お金?スキル?「寂しいから求める」今の私が本当に欲しいものは何?

昨日、親友と食事しながら私は、今の自分が仕事に対してモヤモヤしていることを話しました。

ここ最近、親友に話すのはその話ばかりです。

「仕事(会社)、どうしようか?」

「次は何して働こうか?」

そんな話題で親友を振り回し、いつも申し訳ないと思うのですが。

何としても方向性が決まらない。

だから、苦しい。

したい仕事や、向いていると思われる仕事をあげてみる。

でも、それなりにデメリットやリスクはあるし、何より、52歳のオバサンを使ってくれるか?ってことが大問題よ。

今の仕事(派遣)は、キャリアがある、というだけで何とか使ってもらえてるだけ。

…はぁ~

何も閃かない自分にタメ息出ちゃう。

親友と、あーでもないこーでもないと話したけれど(親友を困らせたけれど)、結局これと言って答えは出ませんでした。


が。

親友と別れて車で帰宅する運転中に、ふと、思ったのです。

「そうだ。私が今、一番欲しいものが手に入ること、が、転職の条件だ!」


私は、職種や業種、スキルやキャリアなど、「仕事」という部分しか見ていなかったことに気づいたのです。

けど、そうじゃない。

今の私が一番欲しいものは、仕事の喜びや不満を分かち合える「仲間」なんだ。

同じ方向を向かって頑張ることができる、「仲間」が欲しいんだよね。


私は今の派遣先で働き始めてから、ずっと、「寂しかった」のでした。

派遣社員という立場の人間も私ひとりだけ。

仕事の内容が社員とは違うため、なおさら距離がありました。

大勢いる若い社員達の中で、派遣でオバサン。

共通の話題もなく、常に孤独感と疎外感を味わい続けていた私。

だから、次は、「仲間」を作れる職場に行きたい!

なので、問題は、「職場」なのだ!



みんな、働く理由はそれぞれでしょう。

それに、能力も個々に違う。

お金(給料)が最優先という人もいれば、職種が最優先という人もいる。

でもね、私、今の派遣先は、いまだかつてない高時給で、キャリアを積み重ねてきた専門職なのよ。

好きな仕事に、私テキには高時給。

しかも派遣先は、通勤は車で10分くらいという、近い場所にあります。

でも、…それだけ、なのです。

なので、思いました。

好きな仕事でも、高いお金もらえても、誰とも喋らないし、誰にも褒められないし、必要とされてるのかされてないのかも分からない…って、悲しい、って。


生きるために生活費を稼ぐ=仕事に行くことでしょ?

しかし人間、孤独は辛いと思います。

ほんと、日々痛感しているわけで。

「寂しい」という感覚は、人間が他者と関わるために必要なものなのかもしれませんね。

「寂しい」が無くなったら人類は滅亡するかも?とさえ思いましたよ、今回。



「辞めたら次は無いかも?」と不安に思わないわけではありませんが、ほぼ死んだような感じで体だけ出社しているような今の状態は、おそらくもう長くは続けられないでしょう。

ですので、次の職場を求めて就活開始することに決めました。

仕事って、お金だけもらえればいい、ではないですね。

スキルアップもしたい、必要とされたい、賞賛されたい、仲間と分かち合いたい、などなど、いっぱいあります。

仕事選びって、「お金だけもらえたらいい」とか、「家から近ければいい」とか、とかく「条件」ばかりを見がちな気がします。

でも、「楽しい」「居心地がいい」「やりがいがある」というような部分も見るべきですね。

そしてまずは、今の自分が仕事(職場)に対して本当に欲しいものを誤魔化さずに、ちゃんと「欲しい!」と認めることも大事ではないでしょうか。

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「今は逃げてもいい」自分に許可をする勇気を持って

これは、とある知人の話です。

派遣社員として働く彼女は、某企業での事務募集の話があり、面接に行ったそうです。

が、実際に面接に行ってみると、派遣会社の営業マンから聞かされていた話とだいぶ違う。

そこで彼女は、説明を受けた業務内容などについても、なんとなく不信感や不安を感じたそうです。

ですが、すでに無職無収入になっていた彼女にとって、今までになく高い時給や、家から近いなどの条件面は大きなメリットでした。

そこで、不信感や不安を抱えたまま、働き始めることになったのですが……

その不信感や不安は、見事に的中。

仕事内容は「事務」という話だったのに、実際にした仕事は、自社製品の目視検品だったのです。

しかも、それなりの理由あってのことでしょうが、飲み物も自由に摂れない、昼休憩はあるものの、それ以外の休憩は3時に10分間のみ、と、今まで経験したことのない厳しさだったとのこと。

近視のためコンタクトレンズ使用の彼女にとって、目視検品は辛く、初日から痛みを感じるほど目を酷使することに。

泣きたい気持ちを抱えながら、彼女は思っていたそうです。

「いつになったら、事務仕事をさせてもらえるのだろう?」と。

が、そんな日は永遠に来ないことを、数日後になって知らされることになったのでした。

結局、その彼女がその派遣先で働いたのは、一週間にも満たない、ほんの数日。

でも、彼女、言っていました。

「面接の時に、あれ?何かおかしいな、と思ったのに、断ることができなかった」と。

事務だけでなく、自分が習得している専門性を活かして働けると聞かされていたらしいのですが、実際彼女が行った仕事は、何の知識もスキルも必要としない検品作業。

作業現場に入るまでに断るチャンスはいくらでもあったはずなのに、彼女が手放せなかったものは、「お金(賃金)」への執着だったと言います。


これはあくまでも私個人の意見ですが、この派遣先がブラック企業っぽかったとか、派遣会社がポンコツだったとか、そういうことではなく、これは彼女への教材として与えられたものだと思うのです。

直前の記事にも書きましたが、相手を変えることはできません。

自分が変わるしかないのです。

ここで彼女に必要だったのは、「かけがえのない自分という世界で最も大切なもの」に気づく、ということではないでしょうか?

もちろん、退社を決意した彼女は、「お金より大切なものに気づいた」と話してくれましたよ。



私もそうですが、お金のために働くのではない、と分かっているつもりでも、現実として、生きていくにはお金が必要です。

ですので、時には、自分自身や家族を犠牲にしても、お金(仕事、会社)を優先することもありますよね。

でも、ここぞ、という時に、「逃げる勇気」「撤収する勇気」って、必要でしょ?

そこで逃げ遅れると大変なことになってしまう、って、多々ある。


私は去年働いていた派遣先で「お金」と引き換えにしたものは、1年以上経った今もなお治らない耳鳴りです。

毎日、朝から晩まで、耳鳴りがしています。

こんなことになるなら、ちょっと体調が悪くなった時に辞めておけばよかった…と思いますが。

もう、今更どうにもならないこと。

こうなってみてはじめて、健康、普通に生活できる普通の体、と引き換えにできるものって何もないって、ようやく私にもわかりました。


もし今、体調を崩すほどのストレスを抱えているなら、「逃げてもいいんだよ」と自分に許可をしてほしい。

今は逃げよう。

でもまた、体制を整え、出直せばいい。

健康を失ってからでは、その「出直し」も難しくなりますから。

「子供が引きこもり」「子供が宿題をしない」 自分の問題と他人の問題がごっちゃになってしまう人は

私の行うメンタルケアセッションの目的は、私との対話を通して、相談者に自分と向き合ってもらうことです。

その結果として相談者は、自身が抱えている問題の解決を見出します。

「問題も問題解決(答え)も自分の中にある」

というのが私の基本理念であり、問題の原因を自分の外側に置いている限り、解決も無いな、と思っています。



よくありがちなケースで、自分の問題を他人のせいにして、他人を変えようとする相談者がいること。

実際、過去には、「子供が引きこもっている」「妻が子供に無関心」「親がパチンコばかり行っている」などの相談を受けたことがあります。

中でも「子供が引きこもり」での相談は、けっこうありました。

でも、ちょっと考えてほしいのは、この相談者たちが望んでいることです。

この人たちはみんな、相手(子供、妻、親など)が自分の思い通りにならないことで困っているんですよね?

引きこもりや子供への無関心、パチンコなどを、「やめてもらいたい」と思っていて、それは全て、自分以外の人がしていることでしょ?

それを、「どうしたらやめさせることができますか?」と相談に来られても、できるアドバイスは何もない。

そこでいつも言うのは、「私にとってのクライアント(相談者)はあなた自身なので、これはあなたの問題として扱います」なのです。

もし、引きこもっている子供本人が困っているなら、その本人からお話をお聴きしましょう。

でも、この場にいない人のことを話されても、私には想像の範囲でしか扱えません。


ここで、この相談者たちに訊きたいのは、

子供が引きこもっていると、(あなたは)なぜ困るのか?

妻が子供に無関心だと、(あなたは)なぜ困るのか?

親がパチンコばかりしていると、(あなたは)なぜ困るのか?

ですね。

もっと嫌な言い方をすると、「なぜそれを問題だと思うのか?」です。


こういう質問をするとほとんどの人が、「だって、本人が困るでしょう?」と答えます。

「子供が宿題をしなくて困っています」と相談に来られたお母さんにこの質問をしたところ、「だって、出された宿題をするのは当たり前で、先生に怒られたら本人が困るでしょ?」とのことでした。

しかし、話をしていくうちに、このお母さんの心には「(子供の)担任の先生に、(子供に宿題もさせられない)ダメな親だと思われたくない」とする「闇」があったことが分かりました。


こんな感じで、家族のことを問題にして相談に来られる人には、「家族がちゃんとしていないことを自分の責任として捉えてしまう」といった傾向があります。

ですから、家族とは言え自分以外の人のことなのに、自分が困ってしまうのでしょうね。

でも何度も言いますが、「他人を何とかしたい」は無理なので、諦めましょう。


問題も、問題解決も、自分の中にあります。

なので、いかに早く、抱えているストレスや悩みを「自分の問題」だと気づけるか?

いかに早く、「じゃあどうしたらいいのか?」を考えられるか?

それがミソ。

自分のストレスや悩み、迷いを、他人のせいにしている間は、何も解決しません。

全て自分のこととして捉えて、逃げずに自分と向き合うことが、悩みを解決してストレスを手放す近道なのです。

今、悩んでいること②「職場で誰とも話さないこと」

私事ですが。

ここ最近、「つまんないな」と心から思う事。

それは、「職場」です。

だって、誰とも話さず、笑うこともない、ただひたすらパソコン画面に向かって作業する日々なんですもん。


私がいるのは30人ほどいる大部屋で、その中で派遣社員は私だけ。

女性は社員が3名いるだけで、あとは全部男性。

もちろん、仕事中は仕事の話をするのが当たり前でしょうから、笑いや雑談を求めるのは無理って分かります。

でもね、派遣の私は朝礼にも会議にも呼ばれず、社員に与えられた仕事しかない。

社員たちが笑って雑談していても仲間には入れないし、仕事の話でディスカッションしていても、私は部外者。


「疎外感」と「孤独感」は、派遣社員でいる以上は仕方ないのかな?とも考えるのですが、今まで働いてきた職場で今みたいな気持ちを味わったことって無かった気がするのです。

昨日、ある知人にこの話をしたら、「そういう職場が好きで向いている人もいるよね」と言われました。

うーーーん、そう言われると、私はね~


先週の金曜日、私は職場で、たった4回しか言葉を発していません。

「おはようございます」「お先に失礼します」は普通に挨拶で、作業して仕上げたものをプリントアウトして上司のところに持って行き、「できました。チェックお願いします」と、タイムカードに押印してもらう時の「お願いします」「ありがとうございました」って。

たったこれだけ。

この現実に、自分が一番驚いているんですよ。

「口から生まれてきた」と両親から嫌味ばかり言われていた口数の多い私が、この現状によく耐えているよね?とも思いますし。


仕事は好き。

好きなことしか仕事にできませんから。

でも、さすがにこの状態じゃあね…

会社に行きたくない、つまらない、って思ってしまうのも当然だよなー、と思います。

親友にメールで愚痴ったところ、「職場は、仕事だけしていればいいんじゃなくて、プラスアルファも必要だと思うよ」といった返信もありまして。



でも、このことから私は、かなり重要な気づきを得ることになりました。

それはこの次で書きますね。

今、悩んでいること①「私、このままでいいのかな?」

私事ですが。

平日フルタイムで仕事(ライスワーク)をしていると、週末の休日は現実的な処理を優先することになります。

掃除、洗濯、買い物などなど。

それに加え、妹家族や知人友人と食事に行く、猫を動物病院に連れて行く、などなど、ゆっくり休む間もなく、また月曜日になってしまう…

といった繰り返しなのは、きっと私だけじゃないんでしょうね。

自分の時間なのに、自分の思うように使えていない。

というよりも、自分を癒す時間、解放する時間が作れていない、と、最近特に感じます。


お金のために生きているわけではないですが、お金がないと生活できないことが現実なので、ライフワークとしてのメンタルケアワークよりも、生活費を稼ぐためのライスワークである派遣の仕事の方が優先される。

それは仕方ないことだとは分かっているものの、正直言って、

「私、なにやってんの?」と自問することも少なくないのです。

好きな仕事をするために、まずは生活を安定させる必要がある、と思っていました。

なので、ライスワークとして派遣で働き、収入を得ることがベストだと。

しかし、ここ最近、なんだか虚しくなるんですよね。

「私、このままでいいのかな?」って自問してばかりいます。


会社に行くと、ブログネタにしたいエピソードや気づきがあるのですが、それをブログにしてアップする時間がない。

覚えていられないからメモしておくのですが、仕事ですっかり疲れてしまい、帰宅してパソコン開けることもできません。

これじゃあ、「生きるために仕事をしてお金を稼ぐ」のではなく、「お金を稼ぐために生きている」になっている。

だから、「それって、どうなのよ?」と、自問し始めるわけで。


私にも夢(?)があり、いずれ、ライスワークとライフワークを統合したい、と考えています。

今はそのための通過点であり、勉強の時なのだと思い、日々生活をしているのですが……

先の見えないトンネルなのか、トンネルじゃなくて穴の中に迷い込んだのか分からない今…

短気だし、わりといい度胸していてサッサと決めるタイプの私が、ちょっとモヤモヤしてるんですよね~

うーーーん。

自分で「被害者」「犠牲者」の役割をを選んでいませんか?

知人Aさんは、認知症の夫の介護をしている専業主婦。

すでに年金暮らしであり、夫婦合わせた年金額は老後を生きるに困らない金額。

でもAさんは、夫を自宅で在宅介護しているのです。

先日Aさんから、「緋呂子さんの体験した在宅介護の大変さを味わっている」とメールが来ました。

まぁ、私も、認知症の母親を看ていた1人ですが、このコメントを読んでもピンと来るものは無かったのでした。

Aさんとはたまにメールをやり取りしますが、食事やお茶に誘われても、その気になれないんですよね。

だって、おそらく話すことって、介護の愚痴や夫への文句で終わりそうなんだもの。


昨日、ちょっとした用事でメールをやり取りしたら、Aさんから「痴呆老人に振り回されて返信が遅くなってしまった」というようなコメントが来たのです。


これを読んだ時、私は思いました。

え?でも、それを選んでいるのは、あなたでしょ?

と。


もちろん、その家その家、その人なりに、他人には分からない事情があると思います。

しかし、施設に入れるだけの十分な経済力がありながら、なぜ在宅介護を選んだのか?

それもまた、Aさんの事情ですが。



私は、そこで思ったのです。

自分でその苦労を選んでおきながら、「辛い、苦しい」と訴えるのって、ちょっと変じゃないの?

Aさんは認知症の夫に、「施設には入らない。お前に在宅介護してほしい」と頼まれたのだろうか?

または、誰かや何かに、「あなたが在宅介護しなければいけない」と言われたのだろうか?


そういう私も、Aさんと何ら変わらない、自ら選んで親の介護を引き受け、「辛い、苦しい」と訴えていました。

その時の私の頭にあったのは、「結婚して子供もいる妹とは違い、私は独身で、長女で、ましてや親と同居しているのだから、私が母親を看るのは当たり前」という意識でした。

しかし、認知症が重くなるにつれ、母親と関わることは本当にキツくなり、自分ばかりが貧乏くじをひいているかのような気持ちに。

辛い。

でも、逃げられない。

だって私は、長女で、結婚もしてなくて、子供もいなくて、実家暮らしで。

だから、私が看るのが当たり前でしょ。


知人Aさんが、この時の私と同じ意識でいるかどうかは知りません。

ですが、この「介護する側」という「役割」は、自分の意思で「放棄」することができるのですよ。

誰にも裁かれず、責められずに、辞めることができるものなのです。

不思議なことに、「もう、被害者をやめよう。犠牲になることをやめよう」と決めた時から、運気の流れが変わります。

なぜならそれは、「自分自身を大切にする」ための決意だからです。

「自分自身を大切にする」ことを、許さない人やものがあるでしょうか?



私の親友は、ガンになってしまった父親を在宅看護し、数か月後に看取りました。

その間彼女は、一言も愚痴らず、ただただ父親のために、自分ができることを考えて動いていたのです。

病院に入院させるのではなく、自宅で世話をしてあげたいと、彼女は在宅看護を選んだ。

自分の意思で選んだから、愚痴や文句が出なかったのでしょうね。


今になって思えば、私自身、誰に頼まれたわけでもないのに自ら親の介護を買って出て、「辛い、苦しい」と嘆いていた愚か者だったな、と。



私たちは、自分が選び取った人生を生きています。

ですから、「なぜこんな目に遭うの?」と嘆くことはおかしなこと。

「辛い、苦しい」とする生き方を、選ばなければいいのです。

被害者にならない、犠牲者にならない人生を生きる権利は、ちゃんと平等に与えられていますから。

「楽に生きる」ために必要なたった一つのことは

楽に生きたかったら、他人を気にしないことです。

他人を軸にしない。

他人の評価を求めない。

それができたら、本当に楽に生きることができると思うのです。



今日は仕事がスムーズに行かず、少々凹みながら帰宅しました。

寝不足続きで朝からあくびが止まらなかったし、何となくダルくて、いつもの調子が出なかったことが原因でしょうね。

そんな今日は、久しぶりに息苦しさを感じたのですが。

やはり、ちょっとストレスを感じると息苦しくなるようです。

「あ、まただ。も~、どうして私はこうなっちゃうの?」

と、自問してみました。

今日の私の仕事は、出張で出かけた上司が、私のデスクの上に置いて行ったもの。

量的に、おそらく数時間で終わるでしょう、と考えていました。

ところが、集中力が無いというか、同じ個所を何度も間違えたりして、一向に先に進まない。

加えて、作業したデータが保存できないなど、いつもは考えられないようなトラブル続き。


…は~。

どうしちゃったのよ、私??

「困った」と思えば思うほど息苦しくなるし、耳鳴りもひどくなってくる。

そこで、再確認したのです。

『今日出張で出かけている上司に「サボっていた」と思われたくない自分』がいることに。


自分が出かけていたからサボっていた、と思われたらどうしよう?

人が見ていないとサボる奴なんだ、と思われたら困る。

気づいたら私は、「言い訳」で頭がいっぱいになっていました。

…今日は体調が悪かったと言おう。

…いや、そもそもデータを提出しないでおこうか?

など、どうやって言い訳しようか?ばかり考えていたのです。


今の私の職場で働くのは、雑談をする余裕もなく働く人たちです。

私も仕事以外のことは話しません。

大声で笑ったり雑談なんてとんでもない、って感じの雰囲気なんですよね。

なので、サボりたくてもサボれないのが現実。

なのに、毎日こなす業務量の半分もいかなかった今日は、「サボっていたと思われるに違いない」と怖くなってしまったのです。




改めて思いました。

私、まだまだ他人を軸にして生きてるな、と。

「人にどう思われるか?」を気にしている限り、ストレスからは解放されません。

自分には自分の事情があり、時には、今日の私のように調子が出ないこともある。

その度にいちいち人の目を気にしていたら、疲れちゃいますね。



楽に生きたいと思うなら、マイペースで生きることを自分に許すしかないのでは?

できないものはできない、失敗することもある、と、開き直るしかなさそうですよ。

「他人の目」が自分を窮屈にするものなら、それを気にしない、という結論です。